僕は当時勤めていた会社の関係で、アメリカにしばらく滞在していたことがある。駐在というには短く、出張というには長い、そんな微妙な期間だ。
なんせ初めてのアメリカだったので、ハリウッド映画のイメージしかなく、アメリカ、それは自由の国!アメリカ、そうステーキとハンバーガーとドーナツ!アメリカ、毎日がパーティ!そんな漠然としたイメージしかもっていなかった。
アメリカといってもニューヨークでもなくロサンジェルスでもなく、南部の田舎町。誰一人ネクタイなどはめておらず、スーツを来ている人など何処にもいなかった。みんなバスケの選手みたいなダボダボの服で仕事をしている。なんか思っているのと違うなー、ブラッド・ピットもアンジェリーナ・ジョリーのかけらもねぇなー、匂いすらしねーなーと、いささかガッカリしたのが、正直な第一印象だった。
僕の職場の人種構成は日本人2:日本人以外のアジア人2:黒人3:ヒスパニック3ぐらいの割合。白人はゼロだった。
初出勤の朝。従業員達が口々にハイ!とかモーニン!と声をかけあいながら出勤してくる。なんとなく居心地が悪さを感じているとき、とびきりの笑顔と真っ白な歯で「ハゼゴー!」と肩を叩きながら声をかけてくれたのがリチャードだった。「ハゼゴー!」と言われた僕は、なんのことか意味がわからず、「お、おう・・・ナイストーミーチュー」とボソボソ答えるのが精一杯だった。(後で知ったことだが、「ハゼゴー」とは、How is it going を素早くいうとそんな感じになるそうだ、よく知らん)
僕はリチャードのことを心のなかで親しみを込めてハゼゴーと呼ぶことに決めた。
なんぜだか縁があったのか、僕はハゼゴーとチームを組んで仕事することが多くなった。二人一組で配達用のトラックに乗り込み、商品を配達しながらセールスをするのが主な業務。
ハゼゴーは日本語がさっぱりわからないし、僕の英語ときたら初歩的な単語の羅列。それでも僕らは配達用のバンのなかで笑いあっていた。共通の話題があったからだ。エヴァンゲリオンである。現地法人には日本人もいるのだが、エヴァンゲリオンが好きな人はいなかったようで、彼はいきいきと自慢のエヴァグッズを会社にもちこんでは僕に見せてくれた。
中学の嫌味なハゲ教師のせいで英語嫌いになって久しいが、彼と話すうちに「英語の勉強でもしてみるか・・・」という気持ちになった。それぐらい馬があったということだ。
ハゼゴー以外にも色々な奴と組んで仕事をしたが、日本と比べると総じて粗い。特に倉庫担当者にミス(商品違い、個数違いといったケアレスミス)が多かった。
ある日、客先にサンプルを届けると、また色違いの品違いで、客に呆れられた。会社に戻り、倉庫係のタッカーに「またミステイクだぞ」と不満を伝えると、「オーマーイ!!」と頭を両手で抱えながら天を仰ぎ、その後、頭突きの如くテーブルに頭をゴチンと叩きつける。アイムソーリーの一言もないのだが、その漫画みたいな大袈裟な動きが面白くて、何故だか許せてしまうのだ。彼は僕の帰国までの間に、バリエーションに富んだ数多くの「オーマイ」を見せてくれた。
仕事はこのように日本的なきめ細やかさは全くない荒っぽいやり方であったが、問題なかった。大根おろしはきめ細かろうが、鬼おろしであろうが大根おろしは大根おろしだ、食えることには変わりない。まあ仕事もそんなものだ。問題ない。ノープロブレムだ。そんな感じの毎日で、僕はそれなりに馴染んでいった。
残念ながら、仕事以外の面では馴染めなかった。
レストランでは、空いてる席に勝手に座るのでなく、案内してもらうシステム。入り口でハウメニーと聞かれるので「ツー」と答えるとワッ?と耳に手を当てて聞き返してくる。あれ、声が小さかったかなと大きめの声で「ツー」と言うと、相手も大きめの声でワッ?と聞き返してくる。ああ、僕の発音が悪いのかなと「トゥー」と自分なりに英語っぽく発音しながら指を二本立てると、なおもワッ?と大袈裟に耳に手を当てる仕草。そうしながら同僚とニヤニヤ笑い合っている。そこまでされると、鈍感な僕にも、こいつらバカにしてるんだなとわかった。
アメリカ名物の「差別」である。この手の差別は日常に転がっており、初めてのアメリカだったが、想定通りであったため、腹は立つが驚きはしなかった。意外だったのは、そのような嫌がらせをするのは決まって黒人であったことだ。僕はステレオタイプに「差別大好きクソ野郎=白人」と思い込んでいたからだ。
なんとか席についても関門がある。席ごとに担当のサーブ係が決まっており、その人にお世話をしてもらうシステムなので、担当者が嫌な奴だと最悪だ。手を挙げて注文を取ってくれとアピールしても無視、エクスキューズミーと言っても無視。このような地味な嫌がらせをするのも黒人だった。
現地の日本人が日本料理屋やベトナム料理屋などのアジア料理屋ばかり行くようになるのも致し方がないことだ。飯ぐらいは嫌な思いをしないで食いたい。
なんとか飯を食べ終え、レストランからモーテルまで歩いて帰る途中、前方から車がやってくる。僕の近くまで来るとスピードを緩めて、窓を開けて「ヒュー、◎△$♪×¥●&%#!!ゲラゲラゲラ笑」とヒップホップ大音量のバカ丸出しのフォードから囃し立ててくるのも、決まって黒人であった。
差別的なイタズラを仕掛けてくるヤカラに直接文句を言いたいところだが、僕にはそんな語学力もなく、体力的にも自信がなく、腹が立つが押し黙るしかなく、「英語の勉強して、いつか罵ってやる」と暗い炎を燃やすのが関の山だった。
そして翌朝には、ハゼゴーに「アホな黒人にまた意地悪されたぞ!」と八つ当たりをして彼を困らせた。その時の彼の困ったような申し訳なさそうな悲しそうな顔が今でも鮮明に思い出させる。
僕にとってのアメリカの記憶は、今でもハゼゴーの困ったような申し訳なさそうな悲しそうな顔だ。
アメリカでの黒人差別暴動のニュースをみて、10数年会っていない彼の顔をふと思い出した。
アメリカで僕を差別したのは黒人だったし、仕事で僕を困らせたのも黒人だった。僕を大いに笑わせてくれたのは黒人で、そして、アリメカでの唯一の友人も黒人だった。