評価・・・78点
キャッチコピー
扉を開いたら、最後。
監督:コット・ベックとブライアン・ウッズの共同監督
キャスト
- ヒュー・グラント(リードさん)
- ソフィー・サッチャー(しっかりシスター)
- クロエ・イースト(おっとりシスター)
感想(※以下、ネタバレあり)
前回の投稿がスキマナリンクのレビューでしたので、かなり期間が開いてしまいました。
スキマナリンクから今日まで映画を観なかったわけでなく、週1回から2回ペースで映画館に通っておりました。
では、なぜレビュー投稿をしなかったのか?私自身も不思議に思い鑑賞作品を振り返ってみると、可もなく不可もなくの作品に立て続けで当たったからのようです。
可もなく不可もなくの作品は、いい意味でも悪い意味でもパワー不足で薄味で印象に残りにくいことから、鑑賞後に余韻を残すことなく、すぐさま脳にアーカイブされ、レビューを書くいとまを与えません。傑作に当たれば興奮し、駄作に当たれば怒りに震え、肩透かし作品に当たれば地団駄を踏む、それら感情の揺さぶりがこれを人に伝えたい!という原動力になるようです。
鑑賞後すぐに簡単なメモを残してますので、どのような作品を観てきたのか、そのメモとともに振り返ってみましょう。
「おんどりの鳴く前に」56点。小さな村で起こった小役人と小悪党の小競り合い。感情が揺さぶられない。退屈な展開がダラダラと続き眠い。印象薄し。
「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」68点。全盛期のJホラーの残り香だけが感じられる退屈な作品。残り香というより移り香か。いずれにせよ匂いが足りない。独創性なし。普通。
「アマチュア」66点。アマチュアというほどアマチュアでなく、かといってプロではない。中途半端。素人ならではのびっくりスキルでプロを欺き、危機を切り抜けるというスカッとする展開なし。中途半端で退屈で普通。
他にもいくつか観ておりますが、往々にしてこんな感じでしたので、やはり見終わった瞬間に大脳皮質の奥底にアーカイブされてしまったのでしょう。
前置きはさておき、今回はA24からの「異端者の家」です。
この時期の映画館は非常に盛況です。そうゴールデンウイークはコナンウィーク。コナンとマインクラフトで大きいスクリーンは独占され、お目当ての「異端者の家」は50席程度のちいさなスクリーンでのみ細々とやっておりました。
細々とで構わないので、このような作品をきちんとかけてくれるのは、本当にありがたいことです。
けっこう客足もよく、さすがに満席には至りませんでしたが、8割方の客入りでした。
作品の感想ですが、ものぐさの私にレビューを書かせるだけあり、なかなかの影響力となかなかの余韻力を持つ逸品でした。
トレーラーを見た限りでは、家に上がり込んだら最後、サイコな家主に捕らえられ、2度と外には出られない系だな、目の見えない元特殊工作員の老人が家主的なあれかな?それとも「ゲームの開始です」的なあれかな?と思っていたのですが、これが思ってもみないタイプの作品でした。
大筋は「家から出られない系」なのですが、登場人物が血まみれで死んでいくパワー系ではなく、言葉を駆使して主人公たちをじわじわと追い詰めていく新しいタイプの怪物でした。いわばプレゼン系です。
モルモン教徒の女性二人が今作の主人公。冒頭の何気ない会話で二人が信仰のあり方に疑問を持っている様子が伺えます。この伏線の貼り方が非常に巧みだと観終わった後に思い返して感心いたしました。

中年以降の方は、モルモン教といえば斉藤由貴、斉藤由貴といえば泥沼不倫、と連想される方も多いと思われます。「モルモン教?高尚なことをのたまうわりには、あれな宗教だろ?」と眉をひそめる方も多いと思われるので、昭和世代の我々にとっては、モルモン教の立ち位置とその信徒の全員が潔癖な存在だとはいえないという背景を持って導入部分を理解できるかと思います。若い方の中では、モルモン教?なにそれ?な方も多いと思いますので、斉藤由貴に感謝です。

この二人のキャラ設定も非常に巧妙。しっかり者とおっとりさん。リーダー気質と家来気質。対照的な二人です。


その二人が問題の家に到着。自転車を盗まれないようにしっかりと門扉にくくりつけてロックします。このシーンもこれからがんじがらめに囚われる二人を暗示するかのようで不穏で非常にいい!
ここから家主と二人の会話劇が始まるのですが、この会話劇が圧巻でした。いっさい血生臭いシーンは出てこないのですが、じわじわきます。

そういえばこの前、あまり親しくない顔見知り程度の人と世間話的に「昨今は物価高ですが、今年のゴールデンウィークはけっこう海外旅行に行く人もおおいそうじゃないですか、コロナ騒動のときとは大違いですな」などと話していたら、彼のスイッチを押してしまったようで、徐々に話がヒートアップしていき「コロナは陰謀でワクチンはビルゲイツで死亡例が多数で隠蔽で陰謀でエビデンスが論文がエビデンスがエビデンスがビルゲイツでビルゲイツがビルゲイツでヤーヤーヤー」と捲し立てられて酷い目に遭いました。
このときのヒートアップ手前の「うわ、なんかやな雰囲気」、「こいつなんかヤバそう」、「どうやって切り抜けよう」という嫌な感じがこの映画の冒頭から中盤にかけて、じっくりとじっとりと味わうことができます。

ヒューグラントが圧倒的な知識量と異様に回る舌とモノポリーなどの効果的な小道具とそしてレイディオヘッドなどの効果的な音楽で、五感の全てを通じて「ヤバい感じ」をこれでもかと与えてきます。そのプレゼン力たるや圧巻の一言に尽きます。

こんな逃げ場のない閉鎖された空間でこれをやられたら、私ならあっという間に洗脳されそう。
そもそも自身の信仰心に懐疑心が混ざっているような状態である主役の二人もじわじわと追い詰められていきます。
このヒューグラントを見ている、やべえなこのオヤジと思うのと同時にすげえなこのオヤジという好印象をもってしまうのも、すでに彼の洗脳テクニックの術中にハマっているのかもしれません。
中盤以降は「いかに脱出するか?」が中心に描かれます。
最終的に脱出できたのは、しっかり者の方ではなく、おっとりさんのほうで、その過程が非常に興味深いものでありました。
彼女はヒューグラントから、「お前は何も決められない、お前は誰かに従うだけ」と指摘されるように、確かにやそのような性格なのでしょう。
その彼女が、ヒューグラントの喉を刺したのは、誰かに決めてもらう人生から決別し、自分の意思で行動することを選択した覚悟の表れであり、支配への決別であり、非常に胸のすくシーンでした。
しかし、この映画は簡単にはハッピーエンドにさせてくれません。
さあ祈れ、祈りには意味がないことを知れ!と迫るヒューグラントに対して、「確かに祈りに意味はない!」と堂々と宣言をした彼女でしたが、その絶対絶命の瞬間に、目を覚ましたしっかり者がヒューグラントを一撃。それは宗教への決別宣言をばかりの彼女に、祈りが効いたかのような錯覚を与えるのに十分な出来事でした。
また、脱出後に彼女が見たしっかり者の生まれ変わりの蝶が指先にとまるという幻覚も、彼女にとっては生々しい宗教体験となったことでしょう。
映画では明示されませんでしたが、脱出後の彼女は支配への離別と精神的独立を手放し、やはり支配されるために教会に戻ったのでしょう。
より強固な信仰者、被支配者として。
この作品は支配に対する決別とそこからの脱出を表面的なテーマにしながらも、結局は脱出できない哀れな我々を、脱出劇というエンタメを通じて描いている点が巧妙であり、鑑賞後も余韻を与えてくれます。
また、若い女性に対してくだらないウンチクを物知り顔で機関銃のように垂れ流す、というのは我々中年男性にありがちな行動。俺って今ヒューグラントになってない?と常に心に留めておかなきゃなとも強く思った次第。
この映画を契機に、世に蔓延する劣化版ヒューグラントが減ることを切に願います。
まとめ
さすがはA24と思える良作でした。
「家から出られない系」というよりは、レクター博士やザ・メニューのシェフと同じ系譜のイカれオヤジ系です。ぜひ劇場でその圧倒的なプレゼン力とイカれ具合を堪能してください。