ミッシング【2024年】艶のない髪、ひび割れた唇、鼻水、涙。こんな汚い石原さとみを待っていた。

映画

評価・・・90点

あらすじ

突然行方不明になった娘を必死に捜索する夫婦。ネットに飛び交う心無い言葉、中傷。夫婦は徐々に追い詰められていく。

監督:吉田恵輔

キャスト

  • 石原さとみ(母・沙織里)
  • 青木崇高(父)
  • 森優作(沙織里の弟)
  • 中村倫也(記者)

感想(※以下、ネタバレあり)

私は、実は「石原さとみ」が苦手。

いつも作品から浮いているというか、トーンがズレているというか、上手い下手でなく、変に目立つ感じがするんですよね。あくまで、私の印象に過ぎませんが。

想像してみてください。ウィーン少年合唱団に一人だけダミ声の浪曲師が混じっていたら?

想像してみてください。上から下までブリティッシュスタイルで決めたジェームズボンドが頭だけチョンマゲだったら?

これはチョンマゲが良い悪いの話でなく、浪曲師が上手い下手の話でもなく、ズレ、異物感、調和の破綻の話に過ぎません。このチョンマゲや浪曲師に感じる違和感や異物感を彼女の演技から感じてしまうんですよね。

これは彼女のもつ画面支配力が強いわりに、演技力が追いついていないせいかもしれません。

あるいは、ファンから求められる「石原さとみ」をどの場面でも演じてしまうことが原因かもしれません。

時に、気合いが空回りしたオーバーアクトが原因かもしれません。

私は石原さとみが観たいわけでなく、「作品」を観たいわけなので、おのずと彼女の出ている映画は避けるようになってしまいました。

さて、今作についてですが、吉田恵輔監督作品というだけで、なんの情報もいれずに、ブランドに飛びつく固定客のごとく公開初日にルンルンで劇場へ。通常ならば、監督、あらすじ、主演俳優の情報ぐらいはチェックしていくのですが、今回はお気に入りの監督作品ということで、なにもチェックしませんでした。(あえてチェックしなかったという側面もあります)

吉田作品はオープニングタイトルの出るタイミング、そのフォント、配置までも計算されていて、それも楽しみのひとつ。(特に「空白」のそれが私のお気に入りです)今回も非常に印象的なタイミングでのオープニングタイトルが出現。これだよこれ!と開始数分で持っていかれました。

オープニングタイトル後に一気に雰囲気が切り替わり、画面には石原さとみが……それをみて、「あ、やっちゃったかな…ミスったかな…」と一気に不安感が押し寄せてまいりました。同時に、彼女が演じた「進撃の巨人」のハンジが走馬灯のように脳裏を駆け巡ります。

では、この映画はありかなしか?ここで、先に結論を申しておきます。

この映画は傑作です。

この映画における彼女は最高です。「石原さとみ」感がまるでなく、観客を映画の世界にがっちりとグリップする強力な引力と最高の演技をみせてくれます。石原さとみファンの方も、私のように苦手派の方も、ぜひここでこの乱文ブログを閉じて、映画館に走ってください。絶対損はしません。映画を堪能したあとに、あらためて私の感想を時間つぶしに観ていただけたらと思います。

さて、ここからネタバレありで、感想を綴ってまいります。

話のあらすじとしては、「空白」とその構造は似ています。子供を失った親が壊れていく、その親はその残酷な事実にどうやって折り合いをつけて、どうやって生きていくのか?というかなりヘビーな話です。

「空白」では娘を失った父を古田新太が演じ、今作では行方不明の娘を探す母を石原さとみが演じています。

石原さとみ演じる母(沙織里)に対する悪意が、続々と、それこそオールスターキャストで出て来ます。吉田監督がうまいというか意地悪なのは、誰もが憎む巨悪が出現するわけでなく、小さな悪意を続々と出してくるところ。

派手な悪意でなく、見栄えのする悪意でなく、「日常に潜む小さな悪意」を続々と、波状攻撃的に出してくることで、沙織里をじりじりと追い詰めていく様は圧巻です。

悪意の波状攻撃で崩壊寸前

映画ばえする派手な巨悪の場合は、我々観客とは関係のない映画の世界だと安心して観ることができますが、この「日常に潜む小さな悪意」は我々の生きる現実世界とオーバーラップしていることから、なんとも言えない嫌悪感を感じるとともに、沙織里に対する小さな悪意を観客である自分自身がいつのまにか持ってしまっていることに気づき、ぞっとする仕掛けになっています。

また、小さな悪意を至るところに散りばめることで、この世が絶望的なクソであること、つまり我々の生きる現実世界も映画となんら変わらず同様にクソであることを示唆しており、なんとも重苦しい気持ちにさせてくれます。

私の好きなシーンは、たまたまスーパーであったママ友に沙織里が、「この前キャンプに行かれたんですね、インスタで見ました」と語りかけると、「なんだかスイマセンね~(私達だけ幸せで)、ごめんなさないね~(あー、早くこの会話終えて、帰りたい)」と愛想笑いで返すところです。

この短いシーンは、バツの悪いママ友の気持ちも理解できますし、このママ友の返しに怒りを覚える沙織里にも同情できますし、第三者的に沙織里に対して「八つ当たりすんなや!」という気持ちにもなります。また、我々がなんの気なしにアップしたインスタが知らないところで誰かを傷つけている可能性があることを示していたりと、情報と感情が盛り沢山で非常に素晴らしいシーンだと感じました。

そのほか小さな悪意の表現として素晴らしいシーンがたくさんありますが、もうひとつだけ。

中盤あたりで、テレビ取材を受ける沙織里が今の気持ちを吐露するシーン。石原さとみの素晴らしい演技により観客の気持ちがぐっと沙織里に寄っていくんですが、そこに吉田監督の意地悪がカットイン。沙織里が「なんでもないようなことが幸せだったんだなと感じています」という部分を耳ざとく聴いたカメラマンが「それって虎舞竜じゃん」と言ってしまいます。

それを聴いて、さっきまで沙織里に気持ちがぐっと寄っていた自分も、「俺もそれって虎舞竜やんって思っちゃった…」と指摘された感じになり、結局は人の不幸も他人事、人の不幸もエンタメにすぎないと感じている自分の悪意を指摘されたようで、けっこうゾッとしてしまいました。

彼は善意の人側であるが、その彼も心の奥底の悪意を指摘されてギクリとします。

このような悪意の波状攻撃と壊れていく沙織里をこれでもかと見せつけながら、さらに我々観客の内面に潜む悪意をも指摘しながらストーリーは進んで行きます。

いったい全体、この話はどんな結末を迎えるのだろうかとハラハラ、ドキドキしっぱなし。

「動」の石原さとみに対し、青木崇高、中村倫也、森優作がオーバーアクトにならないよう「静」の演技で呼応し、抜群の配分で最後まで描き切りました。

石原さとみの「動」の演技に対し、「静」の演技で応じた青木崇高
口下手な弟を演じた森優作。影の立役者といえよう。

そして、終盤には印象的な光の使い方をしながら、このやりきれない物語にも、ところどころに光があることを示していきます。

沙織里が次のステージにたどり着く手助けをしたのは、人々の小さな善意でした。

物語は、怒涛のような悪意のミルクレープの中にあるほんの少しの優しさを見つけることで、人はどん底から一歩前に進むことができるのだ、というメッセージを光の中で、唇をブルブルさせる印象的な沙織里のシーンに託して物語は幕を閉じます。

このラストシーンは、無意識の悪意で満ち満ちたプールの中でも、そこにもたらされたスプーン一杯の光だけで、なんとか泳ぎ続けることができるんだよ、と悪意のプールにつかる我々観客に対するメッセージでもあります。

この作品は、救いのないストーリーのようでありながり、これは報われないどん底の人々が救われる、究極の「救いの物語」なのです。

まとめ

この作品は石原さとみが記号としての「石原さとみ」でなく、真の俳優として開眼した転換的作品として、後世語られることになるでしょう。

あなたはどこに光を感じるでしょうか?

ぜひ、映画館にてあなたの光を探してください。傑作です。

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