評価・・・70点
あらすじ
前作まではウォシャウスキー兄弟としてメガホンを撮ったが、今回は性転換手術を受け、さらに妹のリリー抜きで姉のラナのみ。長い年月を経たこと、私生活の変化、姉のみの参加・・・これらが作品にどのような影響を与えたのか?
監督:ラナ・ウォシャウスキー(ラリー・ウォシャウスキー改め)
キャスト
キアヌ・リーブス、キャリー・アン・モス
感想(※以下、ネタバレあり)
あの「マトリックス」が帰ってきた!18年ぶりだ。あの頃あの時のガキども、劇場へ急げ!サングラスを買ったアイツ、似合わない長いコートを買ったアイツ、イナバウアーみたいな格好を真似したアイツ、みんな劇場へ急げ!どんな内容だろうとこれは僕らにとっての事件だ。
みんな、「ワクワク感」と「イヤ~な予感」の両方をあわせ持った複雑な気持ちで劇場に向かったことだと思う。
なんせ、あの「マトリックス」の続編だ。
大成功か大失敗かのどちらかしかありえないだろう。
まったくの予備知識なしで、製作発表からこれまで、すべての情報を遮断したうえで劇場へ向かった。当然、僕もワクワク感と不安感を抱えて。
結果としては、可もなく不可もなくの普通に面白い映画だった。逆にいえば、それが非常に残念だった。普通の映画としてはまずまずの出来、マトリックスの新作としては納得いかない・・・そんな「平凡」な内容。
年をとったアンダーソン君が1作目と同じように現実に対して違和感を感じながら、マトリックスという大ヒットゲームを作った伝説的ゲームデザイナーとして日々を送る前半部分は非常に良かった。このアンダーソン君はあのネオなのか?それともパラレルワールドのネオなのか?あるいはリローテッドで示された前任者の誰かなのか?あるいはネオの後任者のあらたな物語なのか?と物凄くワクワクしながら物語に引き込まれた。新たな物語が始まる予感ビンビン。
さらにトリニティ改めティファニーとアンダーソンとの会話のなかで「旦那の顎を蹴りたくなる」というセリフにはしびれた。年はとったがまだまだトリニティは尖っている。
急速に興味が失せてきたのは、アンダーソンもティファニーも「ただの」ネオとトリニティだったことが判明してから。なーんだ、そんな単純な話かい!とがっかり。
さらに、肝心のアクションシーンは寄りのカメラが多く目が痛くてたまらない。ネオやトリニティと同じく僕も年をとって老眼が進んだからのう・・・と寂しくなったが、それも理由ではあるが、やはりカメラワークのせいだと思う。
ネオが空を飛べなくなったりと以前の力を失っている設定は良かったと思う。1作目と同じく覚醒するネオをまた見られる!と期待しながら画面を凝視。しかし、このネオはなかなか覚醒しない。また中途半端に力を使えるので、このあとの覚醒シーンのカタルシスがぼやけてしまうな・・・と不安を感じていたが、その不安は的中せず、カタルシスなし。結局最後まで覚醒せずに中途半端ネオで終了。なんじゃそりゃ。
トリニティが逆に覚醒して空を飛ぶ始末。このシーンを見て、「スターウォーズ最後のジェダイ」でレイアが宇宙をスイスイするシーンを思い出して、パニックになりそうになった。(あれは僕にとってひどいトラウマだ)
新たな「マトリックス」にはサングラスもピチピチの黒いエナメルもグルグル回るカメラも飛び跳ねる大量の弾薬も出てこない(出てきたとしても非常に印象が薄い)。僕らが見たかったのは、むしろ「それら」じゃないか?アップグレードされたサングラスとピチピチとグルグルが見たかった。作り手としては、二番煎じは嫌だったのだろうし、20数年の時を経て心境の変化もあったのだろう。でも、僕らは最新版のサングラス・ピチピチ・グルグルを切望している。
マトリックスの登場人物を使ってマトリックスでないものになっていた。スター・ウォーズのシークエルのときにも思ったが、過去の登場人物にこだわらずに新たなマトリックスの物語を紡いだほうがよかったのではないか?
ただし、上述したとおり、面白くないわけではない。この内容をマトリックスとして作る必要があったのか?というだけだ。
エンドロールを最後まで見届け、僕は早足で家に帰り、すぐさまマトリックス1作目のサントラを爆音で聴いた。次回作への期待を込めて。