女神の継承【2022年】イヤ~な気分が1週間続き、実生活に影響をきたす。まさに傑作!

映画

評価・・・93点

あらすじ

取材陣はタイ東北地方の祈祷師ニムを被写体にドキュメンタリーを撮影。彼女の一族は、代々女神を宿したものが祈祷師を継承してきたのだ。
撮影を続けていくと、偶然にも「女神の継承」を撮影できるかもしれないという。
取材陣は意気揚々と撮影を続けていくのだが。。。

監督:ナ・ホンジン

チェイサー、哀しき獣、哭声

キャスト

サワニー・ウトーンマ(ニム)
ナリルヤ・グルモンコルペチ(ミン)
シラニ・ヤンキッティカン(ノイ)

感想(※以下、ネタバレあり)

タイミングがなかなか合わず、公開から3週間経って、ようやく観ることができた。

入りは2割程度。残念ながらガラガラだ。生粋のホラーファン(簡単に言えば、中年男性客)だけかなと思ったら、女性客もちらほら。

「ナ・ホンジン監督がタイで撮ったホラー映画」という事前情報以外を全く入れず、まっさらな状態で鑑賞。

いきなり結論を書くが、久しぶりにズシーンとした思いで流れるエンドロールを呆然と眺めた。そして、照明がついたところで、ハッとした。それぐらい入り込んでしまった。

誰一人としてエンドロールで席を立つ人がいなかったので、観客の全員が同じ気持ちだったのではないか?

話はそれるが、映画館でぜひ観たい映画は数あれど、僕はホラー映画こそ、映画館でみるべきだと思う。

知らない人同士が、真っ暗の中、恐怖を共有するのは、非常に楽しい体験だ。(別に悲鳴が上がらなくても、他者が怖がっているというオーラーは周りに容易に伝播するのだ)

特に本作のような上質なホラー映画は、ぜひ映画館で観ていただきたい。

話を本題に戻す。

騙される快感

この映画はいわゆるフェイクドキュメンタリー。巫女の代替わり、巫女に宿る女神を次世代に引き継ぐ「女神の継承」を撮影すべくスタッフ達がのめり込んでいくのだが、継承どころか「お憑かれ様」を目撃することになる。観客は序盤から映画の進行通りにスタッフの目線で第三者的な高みの見物状態が許されるのだが、終盤にかけて一気に強引に当事者として引きずりこまれる。この展開がお見事。

原題はTHE MEDIUMで和訳すると「霊媒」というシンプルなもの。邦題の「女神の継承」のほうがずっといい。

この題名に引きずられて、巫女の代替わりの映画なんだねーと見ていると、実は。。。という展開が用意されており、題名によるミスリードがうまく効いている。終盤においても、女神を「継承」するのは、実はコイツだったのか!と思わせる展開もあり、さらにようやく「女神」登場か!?と思わせておいての。。。と最後の最後まで題名に騙されてしまった。

こういう騙しは大歓迎の大好物。

圧倒的な役者の顔面力!

また、役者も素晴らしい。特に祈祷師のニム。ものすごい顔面力だ。こんな頼れる顔の祈祷師、ほかにいないよ。

そのニムが、「わたしの手には負えないわい」と嘆いたり、石像を壊されて号泣したりするので、観客にも「この敵は一筋縄ではいかないぞ、やべえぞ」と深く印象付けられる。

祈祷師ニムの姪であるミンも素晴らしい。序盤は古い慣習の中で生きるニムとの対比としての現代っ子ぶりを発揮していたので、なるほど、そのような役回りの可愛い子ちゃん枠か。。。そして悲鳴をあげる役ね。。。はいはい。。。と思いながら見ていたが、それがびっくり仰天、悲鳴をあげる役回りどころか恐怖を与える側であった(悲鳴をあげたのはこっちだ)。

このあたりも安易に可愛い子ちゃん枠にAKB系の小娘をあてがう邦画関係者はミンの爪の垢を煎じて飲んでいただきたいと強く願うところだ。

また、それ以外にも姉のノイ、兄のマニもなんとも味のある顔と演技を見せてくれる。

ラストシーンのもつ意味とは?

序盤の淡々とした上質なドキュメンタリー風な演出から、徐々に不穏な雰囲気に転じ、観客の予想や期待を揺さぶりながら、後半に突き進み、さらにいつのまにか高みの見物の観客を当事者目線に引きずり込む。。。この間2時間11分、まったくその長さを感じさせない。

そして、ラストシーンの「ニムの最後のインタビュー」がまた鮮烈だ。その前の動きの激しい恐怖シーンから一転、真逆の静かな仄暗い恐怖を与える名シーンだ。

このラストシーンからエンドロールにつながるのだが、バックに流れる異国の音楽を不気味な思いで聞きながら、ラストシーンのもつ意味について観客は考えさせられる。決して観客を立たせない、観客を帰らせない、なんともやるせない思いですべての観客はエンドロールを眺めることになるだろう。

僕なりにラストシーンのもつ意味について考えてみた。

「女神を感じることができない。。。」と苦悩するニムのセリフについて、いろいろな解釈が成り立つ。

  • 敵が強力すぎて、女神の力を信じることができなくなった
  • ニムに憑依していた女神が、なんらかの理由により去っていった

僕は「そもそも、ニムには女神など憑依していなかった」のではないだろうか?と感じた。彼女は薄々、女神など憑依していないのでは?そもそも女神なんかいるのかしら?と疑いながら、祈祷師の仕事をこなしてきたのではないだろうか?祈祷師としての力はそれなりにあったので、人を癒やしたりすることはできたが、残念ながら女神は憑依はしていなかった。最大の敵に対決するにあたり、あまりの不安と罪悪感で吐露したのではないか?と感じた。

そうなると、「呪われた家系の父と女神を拒絶した母。運命はすでに決まっている」と喝破した祈祷師サンティは正しく状況を把握していたといえよう。

拒絶された女神はもはや味方ではなく、遠い存在と成り果て、カルマを背負った一族の父と女神を拒絶した女から生まれた娘は、実の兄と近親相姦の関係に陥り、悪霊の格好の標的となったのだ。

そして、頼みの綱のニムには女神など憑依しておらず、ミンが悪霊にとりつかれたときにすでに勝負はついていたのだ。そう、運命はすでに決まっていたのだ。

娘は女神を宿す器としての能力は受け継いでいたが、宿すべき女神はずっといぜんに母に拒絶され、一族のもとからとっくに去っていたのだった。

つまり傑作だ!

帰りの電車の中でも、心の中の澱のようなものが消えず、目をつむってもニムの顔が浮かぶ、そして、なんとなく現実感を喪失したようなフワフワとした感じが続く。この映画は、観ているときだけでなく、観客の現実にまで侵食してくる。観客の実生活にまで影響してくる。

そう、つまり傑作だ。

ぜひ、映画館で観ていただきたい1本である。

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