評価・・・72点
あらすじ
ハンサムな夫、趣味のあう隣人、かっこいい車、豪華な住宅。夫の仕事は順調で、夫婦仲も絶好調だ。だが、この暮らし、何かがおかしい。おかしいのはこの世界なのか?それとも私?
監督:オリヴィア・ワイルド
キャスト
アリス:フローレンス・ピュー
ジャック:ハリー・スタイルズ
バニー:オリヴィア・ワイルド
シェリー:ジェンマ・チャン
フランク:クリス・パイン
感想(※以下、ネタバレあり)
最近、気に入っている女優が二人いる。
ひとりがハンパない眼力のアニャ・テイラー=ジョイ(スプリット、ミスターガラス、ザ・メニュー、クインズギャンビットほか)
そしてもうひとりがチャーミングなタヌキ顔から繰り出すハスキーボイスが魅力のフローレンス・ピュー(ミッドサマー、ブラック・ウィドウほか)だ。
今作はそのイチオシ女優のフローレンス・ピュー主演のユートピアスリラー(?)である「ドントウォーリーダーリン」を紹介する。
テーマはずばりフェミニスト版マトリックスだ。
マトリックスでネオがウサギの入れ墨の入った女に着いて行く場面があり、それが不思議の国のアリスを想起させるが、この映画の主人公の名前はそのものズバリ、「アリス」。男たちの「理想」で塗り固められた不思議の国に迷い込んだアリスがいかにそこから抜け出すのか?というのがテーマとなっている。
フローレンス・ピューの確かな演技と魅力に加え、ジェンマ・チャン等の脇を固める演者も素晴らしい。フローレンス・ピューの前半のワンダビジョンな世界での幸せそうな表情、中盤の不穏な表情、後半の必死な表情など、すべてが魅力的だった。
しかし、素晴らしい作品だったか?と問われると、クエスチョンマークをつけざるを得ない。
中盤あたりで物語の全体的な構造が見えてしまう。それはいいのだが、そこからの展開があまりにチープで深みがまるでなく、いろんな映画の劣化コピーのようで退屈極まりない。え、まさか、そのまんまの展開…?え、なんか、どっかで、見たことある…の繰り返し。
注目している演者であるフローレンス・ピューが出ていなかったら、途中で寝てしまっていただろう。
特に気に食わなかったポイントについて、次に記載します。(この映画のファンの方は、読まない方がいいでしょう)
ダメダメポイント
男たちの勝手な理想に閉じ込められたアリスを含めた女性たちそれぞれの行動を描いているのだが、その「理想」がまさにステレオタイプで古臭いんだよなあ。
この映画で語られる男の「理想」とは、男が男らしく振る舞えた、男らしさ女らしさが尊ばれた、50年代頃の世界観。夫は外で働き、妻は家で家事をしながら夫を待つ。夫はかっこいいシボレーを乗り回し、仕事は順調、家に帰れば、美しい妻が美味しい食事を用意して待ってくれている。そして食事なんかよりも・・・と美しい妻を押し倒す。自信あふれる男の時代。男が男らしく生きた時代。
そんな失われた男たちの「理想」を人工的に構築して、そこに妻たちを閉じ込めてしまえという話なんだが、その描かれる男の「理想」がものすごく古臭くて、ステレオタイプで、まんとも押し付けがましくて共感できなかった。
ここで描かれている男の「理想」世界は、加害者は常に男で被害者は常に女である田嶋陽子的世界観が基礎とされている。そのため鑑賞中、ずっと田嶋陽子先生の顔がチラついて映画に集中できなかった。
そもそもフェミニズムとは男と女の対立軸の問題ではなく、性別によって明確に役割を押し付けられる、古臭いステレオタイプな価値観を打破すること、マトリックス風にいうならば、その凝り固まった世界観からウェイクアップすることだろう。
凝り固まった世界観に取り込まれているのは、アリスたち妻だけでなく、夫たちも含めた全員であったという話であったならば、まだ、腹落ちもするのだが、なんとも古臭いそれこそステレオタイプな話で、むしろ監督含めたお前ら全員がウェイクアップしろよと問い詰めたい気持ち。
この監督と脚本家をサランラップでグルグル巻きして、泣くまでレイジアゲインストマシーンを爆音で聞かせたい。
その古臭いありがちな理想世界で彼女たちがどのように行動したのか?は次のとおり。
登場人物が表現しているもの(考察)
- バニー(オリビア・ワイルド)
彼女はこの世界が現実ではないことに気付いているが、あえて脱出しない。子供との生活があるからだ。波風を立てずに夫にかしずく妻を演じ続けることが、すなわち自分を犠牲にすることが、子どもたちとの生活を継続することを唯一の方法だと考えているのだ。おかしいと思っているが、声をあげない女性を暗喩であろうか。
- ペグ(ケイト・バーラント)
メアリーに「いつも妊娠している人」と評される。女をこの世界に縛りつけておくには、目覚めさせないためには、「妊娠」が有効であるという暗喩か?
- ジャック(ハリー・スタイルズ)
現実世界では無職であるがゆえに、医師として日々を忙しく過ごすアリスに嫉妬し、彼女を家庭に縛りつけようとあがく。目覚めかけたアリスに子供をつくろうと提案するところなど、制作陣はやはり「妊娠・育児」がこの世界に女を縛りつけるキーワードだと考えているようだ。
ジャックはアリスとともに逃げることを選ばずに、結局アリスに殺されてしまう。
ジャックを殺す→「結婚」という足かせからの脱却、つまり「結婚」が女たちを縛り付けているという暗喩であろうか。
- シェリー(ジェンマ・チャン)
アリスとおなじくシェリーも夫であるフランクを殺す。パニクって殺したアリスとは異なり、彼女は明確な意思をもって夫を殺した。「こんどは私が仕切るわ」と。古い時代の終焉と新しい時代の幕開け、つまり男の時代から女の時代への転換点を暗喩していると思われる。
「結婚」、「妊娠」、「育児」が女たちを古い価値観のなかに縛り付ける足かせとなっているのだあ!という、田島先生がいいそうなことを長時間にわたって、さまざまな切り口でみせられ、お腹いっぱいだ。
まとめ
マトリックスもそもそもは監督自身のアイデンティティであるトランスジェンダーの暗喩が込められていると聞く。
だとしても、我々はここに閉じ込められている、この世界は閉塞感でいっぱいだ、この世界は誰かが作った誰かのための都合のいい世界だ、そこから抜け出せ!目を覚ませ!ウェイクアップせよ!というのは、性別関係なく(それこそヘテロもLGBTも関係なく)刺さった。
監督の感じていた閉塞感からの脱却、閉塞感の打破というメッセージが映画を通して、観客それぞれが抱える個々の問題意識に刺さったのだ。
対して、今作はどうであったか?
まったく同じ閉塞感をもつ観客には刺さるかもしれないが、似てはいるが別種の閉塞感を抱える観客には刺さらないだろう。
つまり田島先生には刺さるが、僕には刺さらない。。。ということだ。
ここまで書いていて、同じような感想をもった映画を思い出した。ジョーダン・ピールの「ノープ」である。あの作品も同じく、エンターテイメント性を犠牲にした、まったくもって説教臭い映画であった。
ノープのレビューにも記載したが、僕は映画でドキドキしたい、ワクワクしたい、ハラハラしたいのだ。難しいお説教はたくさんだ。
ノープ【2022年】手放しでは称賛できない説教臭いホームルーム映画
決してメッセージ性を否定するわけではない、メッセージ性を重視するあまりに観客を白けさせるのはやめて欲しいのだ。プロミシング・ヤング・ウーマンはメッセージ性を有しながらもエンタメ性も失っていなかったでないか。
と、散々けなしてしまったが、主演のフローレンス・ピューは素晴らしい演者であるため、彼女の演技を堪能するためだけでも見る価値はありますので、気にせず鑑賞してください。(フォローになってないか・・・)