ロスジェネ。僕らは何を失ったのか?

僕はいわゆるロスジェネ世代に属している。

このたび、有識者の方々より「人生再設計第一世代」という有難いお名前を頂戴した。お前たちは「失った」のでなく、「努力が足りないから手にできていない」のだよ、もっと頑張れ、もっと努力しろ、というのが行間からにじみ出ていて笑える。(これは殴ってもいいレベルだよね?)

ところで、僕たちは何を失ったのだろうか?

僕が中高生の頃は、ブルーハーツを聴きながら「腐った大人になんかなりたかねぇ、普通なんて糞食らえ、平凡なんてファックユー!普通に生きたってロクなことありゃしねえ、俺たちは特別だ、大人たちに褒められるようなバカにはなりたくねえ」と調子に乗ったお尻真っ青なガキどもが周りにワンサカといた。(まあ、僕もその一人だ)

「平凡なんてまっぴらゴメンだ」とは思いながらも、「大学卒業したら、なんだかんだ言いながら就職して、(まだ見ぬ)彼女と結婚して、車を買って、そのうち子供が生まれて、ローンでマイホーム買って、味気ない仕事を続けて、週末に家族でバーベキューかなんかやって、俺達も昔はヤンチャしたもんだよなってときどき昔の仲間と会って酒飲んで、自分の子供の反抗期に手を焼いて、年取って俺の人生もそれほど悪いもんじゃなかったなぁと50歳ぐらいで思う、そんな人生を送ることになるんだろうなー、嫌だなー」とぼんやりと思っていた。

口には出さないが、僕だけでなく、みんな思っていたはずだ。

画家だ、ロッカーだ、旅人だと、とんがってみても、ある時期が来るとみんな落ち着くべき「平凡」を見つけて取り込まれていくというのが、王道パターンだったし、周りの大人たちも、ハシカみたいなもんだろ、あいつもそのうち大人になるだろ、とまあのんびり構えていた。

大雑把にいえば、20代前半くらいまではある種の無頼が許されていた。

事実、僕もバックパックを担いでアジアの辺境をブラブラしていたし、音楽でメシを食うんだとまずはモヒカンに鼻ピアスできめたはいいが、その後何年たってもギターが弾けない友人もいたし、麻雀放浪記に憧れて雀荘に通い詰め、役満ばかり狙うもんだから、しばしば焼き鳥になり、「とり哲」という通り名を頂戴した奴もいた。(後年、「とり鉄」という居酒屋ができて、彼のことを懐かしく思い出したものだ)

「普通、平凡」に対する対立軸としての「無頼」。それぞれが思い描く「無頼」を思う存分堪能するのが、子供から大人になために必要な通過儀礼、あるいはクソッタレの大人になるまでに与えられたモラトリアムだった。

対立軸を意識した「無頼」でなく、純粋にチャレンジャーにとっては、セーフティネットと言えるかもしれない。日本中に広くゆるく張り巡らせた優しく包み込むセーフティネット。

ある時期から、それらががすっぽりと消え失せた。

通過儀礼を潜り抜ければ、そこには何もない。弱肉強食の荒野がただただ広がっていた。

「無頼」を気取った者も、力尽きたチャレンジャーも、そして普通であることをなんとなく選んだ者たちも、みんなまとめて取り残された。

ロスジェネ世代は何も特別なものを失ったわけではない。ヤンチャしていても、いつかは落ち着ける場所を、思い切ってチャレンジしても、最後は優しく受け止めてくれるクッションを、大人のいうことをそこそこ聞いて、なんとなく生きていけば、何とかなるだろうというものを、いわゆる「普通」という概念を失くしたのだ。

いや、失くしたのではない。奪われたのだ。そして多くのものが、大人になりきれず、取り残され、迷い子となった。帰る場所を奪われた迷い子たち。

あれから何年たった?僕らは今も迷い子だ。いったいどこにたどり着くというのだろうか?いったいいつになったらたどり着くというのだろうか?贅沢は言っていない、クソッタレの大人になりたいだけなのだ。

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