仕事の話を続けて書いていこうと思っていたが、子供の頃の思い出がふっと頭によぎったので、そちらの方を先に書くこととする。
その家は田んぼのど真ん中に立っていた。
僕は小学生の頃、冬休みになると必ず母方の祖父母の家に遊びに行った。
祖父母はたいそう優しく、従兄弟のケンジと遊ぶのも楽しかった。
なにより叔父(母の弟)が大好きで、彼に遊んでもらえるのが、楽しくて仕方なかった。
僕が当時住んでいた家もたいがいの田舎であったが、祖父母のところはドが5つぐらいつくほどのド田舎である。
祖父母と同居している叔父一家は家業の酒屋を経営していた。
酒屋といっても酒だけを売っているわけでなく、食品、駄菓子、雑誌、農作業に必要なもろもろを売る雑貨店。
店頭でも販売するが、多くは配達である。コンビニのようなものである。
従兄弟のケンジとの幼稚な遊びに飽きると叔父の配達について行き、叔父と二人で田舎道を軽トラでドライブするのだ。
配達ドライブのたびに、叔父は小学生の僕にギヤチェンジをさせた。自分でハンドルを握りながら、「2段!」「3段!」と助手席に座る僕に指示し、それにあわせて僕は真剣にギアチェンジをする。
顔見知りの農夫が僕らの軽トラを見て、ニコニコと手を振る。僕は叔父の指示にあわせて、クラクションをプップーと鳴らす。
叔父はユーモアたっぷりに「タケちゃんがギアチェンジ失敗したら、ふたりともあの世行きやけんな!」と脅すので、僕はそれはもう必死だった。
命がかかっているのだから!そしてうまくいくと「タケちゃんのおかげで、運転楽やったわ、ありがとうな、また頼むな!」と頭をなでてくれるのだった。
そして配達がおわり、仕事が一段落すると、叔父はアトリエに入り、趣味の油絵に没頭する。それもまた格好良かった。
ユーモアと繊細さと少しのワイルドさをもった叔父が大好きだった。
酒屋の前の道路の向こう側には用水路が流れ、その向こうは見渡す限りの田園だ。
田圃だけだ。田圃のど真ん中に建っているあの家を除いて。
田圃のど真ん中に家が建っていると聞くと、家があって玄関があって庭があって垣根があって、そしてその周りが全部田圃であるというのを想像するだろう。
違うのだ。
建築物としての家屋の周りが即田んぼなのである。
「玄関開けたらすぐ田んぼ!」ということである。
奇妙な家。
小学生ながら僕も不思議に思っていた。そして興味シンシン!でもあった。
あの家に近づいたらいけんよ!祖父にも祖母にも父にも母にも、そして叔父にも口酸っぱく言われた。
それでも男の子、小学生の探求心は抑えられない。
ダメと言われると、言われたダメの倍数で好奇心が膨らんでいくものである。
僕は祖母も叔母は寄り合いで不在、叔父は遠方に配達というまたとないチャンスをとらえ、行ったらあかん言われてるし…と渋るケンジを無理矢理連れ出して(正直ひとりで行くのは怖かった)、探検の旅にでた。
気分はインディージョーンズである。(僕が鞭を振るうジョーンズ博士で、ケンジはお供のアジア系少年でトロッコに乗って冒険するイメージ)
酒屋の前の道路を越えて、用水路を飛び越えて、冬の乾いた田圃を踏みしめて、「その家」を目指す。
冬の冷気で固まった畦を踏みしめながら、もくもくと進んだ、「家」がどんどん近くなってくる、僕の心臓もはちきれんばかり。
自然とインディジョーンズのテーマソングが口をつく。
あんなに嫌がっていたケンジもここまでくると、「タケちゃん、食らえ!」と無邪気にひっつき虫を投げて楽しそうだ。
「家」が間近に迫ってきたとき、僕は異変に気がついた。
10匹近くの犬に取り囲まれていたのだ!
歯をむき出しにして敵意をみせるもの、姿勢を低くして唸りながら飛びかからんとするもの、遠巻きに警戒心をあらわに睨みつけてくるもの、それだけで僕とケンジは身を竦ませたのだが、さらに彼らの異様な風体が僕らを怯えさせた。
彼らは犬といってもコリーやシェパードといった上品なものではない、柴犬やチワワなどがもつ愛らしさの欠片もない。
いくら小学生の僕でも柴犬やチワワやブルドックなんかは知っている、お気に入りの「世界の犬百科」で学習済みだ。
とにかく僕が見たこともない奴ら。
奴らは薄汚れ、下品で、あるものは片目がなく、あるものはびっこを引き、あるものは顔面傷だらけ。
唸りすぎて泡を吹いているものもいる。
当時人気のあったワンちゃんが主人公の画期的なマンガ「銀牙」(男気あふれる犬達の物語。登場する犬達はすべて歴戦の勇者で顔面傷だらけ)に出てくるような奴らである。
まさしく絶対絶命。
喉頸に食らいつき、すかさず体を回転させることで相手の喉を引き裂く大技「抜刀牙」をくらうのか!?従兄弟は傍らでガクガク、僕は声が出ない、
大好きな叔父さんに助けを求めたかった。
僕のヒーロー。
「ぐぉぉお~!らぁぁあ~!」
まるで、地鳴りのような声。奴らはいっせいに、声の主のほうへ顔を向ける。
お、叔父さん??
そこにはヒーローでなく、小汚い四角い男が立っていた。
四角い顔に四角い鼻。ボサボサの眉毛。その下の瞳は抜け目ない光を放っている。顔も四角いが体も四角い。白髪交じりの角刈り、ごま塩頭。そして奴らに負けず劣らず薄ら汚れている。
野生動物的な勘で一瞬にして、コイツハヤバイヤツヤと判断した。
犬どもは僕らに興味をなくし、いっせいに四角い男の周りをぐるぐる。
どうやらこのヤバイヤツが「家」の主であると同時に、奴らのボスのようだった。
誰だコイツ!?奴らが僕らを襲ってくる危険性は去ったが、それ以上にこのヤバイヤツは危険だ……
「ともッつぁん!」
傍らでジョーンズ博士のカバン持ち、否、ケンジが声を上げる。
え、おまえ、ヤバイヤツと知り合いなの?
「この前の酒代はとうに払ったとお父ちゃんにゆうとけ!」
どうやら、この「ともッつぁん」という四角い男は実家の酒屋の常連客であるらしい。
「おまはん、みん顔やの?かんまんから、ちょっとこっちきい」
非常にきつい方言で僕たちを「家」に招き入れた。よく見ると四角い男の「家」もまた真四角の平屋であった。
そこは小学生の僕が持ち始めた固定概念をことごとく打ち砕く建造物、不思議な空間だった。
家というものは玄関があって、ピンポンがあって、そこにはなんなら花瓶に花でも活けてあって、廊下があって、奥に居間があって、優しいお母さんがいて……そんな固定概念が一切通用しない。僕にとって家庭を構成する要素が何一つなかった。
ドアをあけると三和土はなく、廊下もなく、いきなり部屋である。ワンルームである。
一間の一軒家。
田舎育ちの僕はそんな間取りをみたことがなかった。
僕たちはおそるおそる「お邪魔しまーす」と小声でいいながら、靴を脱ぎ、中に入った。
不気味な間取りにおっかなびっくりであり、脱いだ靴を奴らにくわえて持って行かれるのではないかと気が気でなかったが、断ると四角い男にもっとひどい目に遭わされそうな気もして、躊躇しながらも好奇心はパンパンに膨らみ、それに背中を押されるように、僕らは「家」にあがった。
その四角い男の真四角の「家」には、調度品がほとんどなかった。
古びたブラウン管テレビ、丸いちゃぶ台。
ちゃぶ台の上には一升瓶。
当時、父がよく飲んでいた「純」ではなく、無骨な雰囲気のある一升瓶だ。(当時は「純」という焼酎がおしゃれな感じで流行っていた。シーナイーストンがCM出演して話題になっていた。今の時代で例えるとスカーレットヨハンソンがホッピーのCMに出演する感じだろうか?ちょっと違うが、まあ、そんな焼酎新機軸が登場した頃のはなし)
四角い男-ともッつぁん-は冷蔵庫からカルピスを取り出しワンカップ大関を再利用してコップもどきにしたものに無造作につぎ、いい加減に水道水で薄めて、僕らに出してくれた。
当然氷もなし。
そして、ともッつぁんは一升瓶である。
飲みたくなかったが、無理して口をつけた。
ぬるくてまずい……隣に座っているケンジも複雑な表情。
それでも、ともッつぁんは満足そうだ。冬の西日が差し込み、みんなの頬を照らしている。
埃だらけのブラウン管テレビがワンワン鳴っている。外では犬達のはしゃぐ声。
そして、ともッつぁんはポツポツと話し始めた。
「わいは本来はこんなところにいるべきではないんやけんど、ある事情があってここにおらなかんねん……」
「え?事情ってなんなの?」
「それは言われへんのや。国家機密やけん。とにかく重要な秘密なんや。ほんまの家は県庁の近くにある豪邸や。仕方のうて、ここに隠れとる」
(ほんまかいな)
「秘密を守るためや。外におる犬がおるやろ?あいつ等と一緒に守っとる。外の人にゆうたらいけんぞ。あいつら実は全員狂犬病やねん。あいつらに噛まれたら敵もキチガイや」
(狂犬病なのは、あなたでは?)
「おまえ等もわいがここに隠れとることを全体誰にもゆうたら、あかんぞ!」
(じゃあ、なんで酒買いにくるの?おかしいよね)
僕は心の中でつっこみを入れながら、真剣に聞くふりをした。
ここまではポツポツとした話し方であったが、徐々に酒で助走がついたのか、怒濤の勢いで話し始めた。
「このあたりは全部昔はわいの土地やった、実は」
?
「わいのトラクターは時速300キロ、実は」
??
「政治家がすべて悪いんや、わいの嫁は松坂慶子なんや、実は」
???
「わいの弟は007なんや、世界を股にかけとる、実は]
????
意味不明である。不条理である。
そもそも落ち着きのない子といつも言われていた僕である。
意味不明のおっさんの戯言になどつきあっていられない。
意味不明で、さらに臭いし。だんだんお尻がモゾモゾしてきた。
隣で座っているケンジもモゾモゾ体を動かしている。
そろそろ潮時か……
※長くなりそうなので、続きは来週書きます。
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