「法人とは利益追求集団である」
学生の頃、そう習った。法人と個人。おなじく「人」がついるが、いったいぜんたい、なにが違うのだろう?
法人とは「利益を追求するという特別な目的のため、法律上人格を与えられた存在」であるとも習った。
うーん、よくわからない。
そもそも「利益を追求する」とはどういうことなのだろう。
下記は僕が学生の頃に教わった例え話だ。
たとえば、あなたが帰宅途中に悪党におそわれるご婦人を見かけたとしよう。そして勇気をふりしぼって彼女を助けてあげたとする。
あなたは言うだろうか?「助けてあげたのだからカネ寄越せ!」と?
そう、まず言わないだろう。
僕たち個人の行動はこのように金銭とは関係のない動機(義侠心とか人情とか)で決まる側面をもっている。
(まあ、下心から行動する御仁もいるだろうが、それでも銭目的ではない)
対して法人はご婦人を助けた際に、「お助け料」を請求せねばならない。
厳密にいえばだが。
まさに「人でなし」である。
人でなしと言われようと、法人とは「利益追求集団」である。
その目的にのみ存在疑義をもつ擬似的な固まりだ。
その目的から外れた行動は自らの存在意義を否定することになる。
存在意義の否定のみならず、外野からも、
お助け料がもらえないのなら、ご婦人を救出するのにかかったコスト(たとえば人件費)はどうなるの?
売上ゼロでコストだけ発生するの?
代金をいただけないにしろ、とりあえず売上を計上するべきではないか?
といった声があがる。
えっ!なにそれ、ほんとなの??
もう少しわかりやすい例だと、僕たちは知人や友人に小銭を貸してあげることってよくあること。
親しい間柄だったら、さらに無利息じゃないかな、当然。ごめん、財布忘れた、昼飯代出しといて。おお、いいよ!なんなら奢ってやるよ、今度おごれよな、ははは、ってなもの。
では法人はどうか?無利息はありえません。
なぜならば・・・
→法人は利益追求集団である
→つまり、俺たちの行為はすべてお金のため
→お金を貸すという行為も利益がでてしかるべき行為である
→ゆえに利息をとって当然である!
→いや、とらねばならない!
となり、返すのはいつでもいいよ、無利息でいいよ、友達じゃないか、なんてやると株主ムッカー税務署ムッカーとなり大炎上。
こんな考え方を前提として法人に対する会計やら税金やらの制度が組み立てられているんですよというのが教授の説明だった。
さらに教授は続けた。個人はいろいろな側面があるのでややこしい、しかし法人は利益追求集団という側面しかないので単純明快でわかりやすいと。
そう習った僕は、法人という利益追求集団、つまり会社に入ったら、利益を追求するための歯車になるんやな、つらいのう、世知辛いのう、とぼんやりと考えていた。
嫌悪感の反面、がんばって働いて、がんばって利益をあげて、たくさんお給料をいただいて、僕も幸せになるんだと希望にも似た気持ちも思っていし、なんとなく目的は利益を稼ぐことオンリーな単純明快な世界が楽しみでもあった。
僕は大学卒業後、当然のように就職した。
それから数年が過ぎ、たしか僕が30歳前後の、入社したての純粋さがなくなり、学生時代に習ったことは単なる建前で、企業に所属することは単純明快なことではないことがわかり始めた頃、つまり社会人としてこなれてきた頃のこと。
当時、仲良くしてもらっていた8歳上の先輩(顔がネズミ男に似ているので、ネズ先輩とします)が、ある日、僕を飲みに誘い出した。いつもの立ち飲み屋である。ネズ先輩は大勢で飲むよりも、二人で飲むことを好むタイプだった。
そしてダメなものはダメと貫く、気骨ある、ときに敵を作りやすい、別のサイドに立っている人達にとっては、たいそう面倒くさい人でもあった。
僕達は、あっちの部の誰それが、こっちの部の女子社員とつきあっているらしいぞ、へぇ~知らんかったなあ、とたわいもない、逆にいえば、酒の席にはぴったりのくだらない話題を肴に飲み続けた。
酒量もかなり増えたころ、ネズ先輩がその出っ歯をもどかしそうに、水気のある独特のしゃべり方でこう言った。
「なあタケオ、出世するためにはなにが必要だと思う?」
僕もいい加減酒がまわってきたのもあり、また、くだらない話に食傷気味であったこともあり、投げやり気味に答えた。
「あれれ、先輩、出世なんか気になるんですか?やっぱ、あれでしょ、会社に貢献してなんぼでしょ」
そして冒頭の教授の話を思い出しながら、続けた。
「会社は利益追求集団なんだから、稼いでなんぼでしょ、つまり会社に利益をあげさせた奴がトップを走って当然でしょ」
出っ歯先輩、もといネズ先輩は少し残念そうにつぶやいた。
「俺は違うと思う。基本的にはババ抜きや」
ババ抜き?あのトランプの…?
「おまえに会社のババ抜きの必勝法を伝授する。まず通常のババ抜きと同じで参加者に札が配られるわけや。通常のババ抜きとはちょっと違って、どれがババかは、ぱっと見にはわからん。ババの絵は明確には描いてないんや。一見すると役に立ちそうな札にも見える。ここがミソや。とにかくどれがババかをまずは見極めんといかん。いや見極めなくてもいい、ババくさいと感じたら、早めにその札を相手に引かせるんや」
「でも、相手もそう簡単には引かないでしょう、それに相手に引かせたら、次は自分が引く番なんだから、引き返させればいいじゃないですか、結局ふつうのトランプと同じじゃないですか」と僕。
人にモノを教えるときのある種の興奮が彼にも沸き起こったらしく、ネズ先輩は、酒で濁った目をさらに充血させながら、特殊なルールがあるんや、と続けた。
「ババらしき札を相手に引かせたら、もう自分は引かんでもええんや、その相手がババらしき札を持っているのは、わかっとるんやから、そいつには近づかんとじっと眺めておけばええ」
「自分の番がきても引かないのがありだったら、なんでそいつは引くんですか、アホじゃないですか」
「そうや、アホや。そしてここがポイントや。引かなくてもいい札を引かざるをえん状況に相手をいかに追い込むかが勝敗をわけるんや」
「いやいや、勝敗って。ババを引いた奴をバカみたいにみんなで眺めてたって勝敗がつかんでしょ、勝ちにいくためには果敢に札を引きにいかないと、たとえババを引く可能性があるとしても」
「いや、違うや。これは誰が勝つかを決めるゲームやないんや」
え?
「誰が負けるかを決めるゲームや」
「ババくさい札が本当にババだった場合、それをつかんでた奴は毒まみれとなる、すぐに全身を蝕む。それでそいつはジエンドや」、「そしてまた新しい札が配られ、新しいゲームが始まる」
ネズ先輩は、なにがババなのかを教えてくれる仲間を確保しておかなければ、この勝負ははじめから負けや、と少し声を潜めた。
「そして自分がババを握っていたときに、誰かに無理矢理引かせるための状況を作り出すこと、この場合は身近な権力者だな、彼の力を最大限に利用して、相手を追い込んでいくんだ、相手が嫌でも札を引くように」
僕はこなれた社会人になりつつあった頃だったけれども、ネズ先輩が言わんとしていることのすべてを理解できなかった。まして酒ですっかりしびれたきった脳みそでは。
最後にネズ先輩は一転、明るい声で「だがな、ババというとひどいもん掴まされたと思うが、ババというのはジョーカーともいうやろ?最後の切り札や。ババをジョーカーに変えることができれば、大逆転も可能やと俺は信じとるんや」と伝票を掴んだ。
別れる前に、ネズ先輩はびっくりするぐらい優しい声で「タケオ、さっきのババ抜きの話な、あれは忘れてくれ。おまえはまだ若いんだから、そんなことは気にせずに、今ある目の前の仕事に集中すればええ、ごめんな、変なこといってよ、それじゃな、また来週」とすっと背を向け、地下鉄の階段を降りていった。
ネズ先輩のくせに、なに格好つけてんだよと僕は少し愉快な気持ちになって、逆方向に向かった。
週明け、僕はひとつの噂を聞いた。泥船と呼ばれるアメリカ子会社への新たな駐在員が決まったそうだ。その会社は泥でできた船どころか、もっともろい、オブラートでできたような船、オブラートシップである。前任の駐在員が帰国してから長らく空席となっていた。次の駐在員は誰だろ、次は確実に沈むよなー、と噂されいた。
その次の駐在員がネズ先輩であった。
どうしてネズ先輩がその任を担うことになったのか、バカな僕でも想像がついた。先輩が掴んだババはオブラートシップ、一本気な先輩はババをジョーカーに変えるべく、一人で戦いに挑もうとしていることを。
それから数年。課長島工作や半沢直樹のようなことは当然おこらず、やはりオブラートシップはオブラートシップに過ぎず、ネズ先輩は現地で会社を去った。
その後の彼の行方は杳としてしれない。日本に帰国し、実家のミカン農園を継いだとも、そのままアメリカに残り、捲土重来を期すべく潜伏しているとも言われている。
あれからかなりの年月がたつ。僕はあの夜のネズ先輩の年齢をとうに過ぎてしまった。そして彼が言っていたことを十分すぎるほど経験してきた。
もういちど会えるのなら尋ねてみたい。
先輩、昨日ババつかんだっぽいんだけど、どうかな?ジョーカーになれそうかな?