同僚がブラック上司になっちゃったよ、っていう話

仕事

ロスジェネの分類_ネオリベマンとマゾヒスト

僕らロスジェネ世代は大別すると「不遇な状況は個人の努力が足りないからだ」と主張する自己責任至上主義ネオリベマンと「仕事があるだけありがたい、頑張って深夜まで働かなければ」という自己追込み型マゾヒストに分類されるようだ。これら二つはなにも両極端の考えではなく、コインの裏表。クルクル回転している。

僕はどう考えても後者の自己追込み型マゾヒスト。今日も(無駄に)遅くまで頑張った自分を褒めてやりたいタイプ。そんな僕も「不遇な状況は僕の努力が足りないせいだ」と考えた時期もあったのだから、コインの目が偶々こちら側だったというだけで、ちょっと風向きが変わればネオリベマンに変身する恐れが大いにあると予想している。

この腐り切ったブラックニッポンは一握りの悪魔が一夜にして作ったわけでなく、僕らの中にあまたいるマゾヒスト達によって土台が構成され、その土台の上をサイコパスが経営者として暴れ回り、その行為をネオリベマン達が拍手喝采で社会的承認を与えることで、社会は自浄作用を失い、ただただ黒く黒くなっていくことを誰も止めることができずに知らぬ間に完成してしまったものだ。

僕の同僚、ダンダについて

ところで、僕の同僚に変わった男がいる。

彼もロスジェネど真ん中であるが、自己を徹底的に痛めつけることで初めて社会へのつながりを実感できるマゾヒストでなく、また成功は努力によってのみ成し遂げられると信じ込む狂信的ネオリベマンでもない。

就業時間前の掃除の時間は、労働時間に含めるべきではないか?

年間所定労働時間が他社より明らかに多いのは時代錯誤な労務管理ではないか?

有給申請に対して部長がぐちぐち言うのは時季変更権の濫用ではないか?

これらは全部、彼が人事部に直訴した内容である。大事な部分なのでもう一度いう。彼が人事部に突撃して実際に訴え出た内容だ。くたびれた居酒屋で同僚に管を巻きながら話した内容ではない。

彼はロスジェネには珍しい労働問題に強い関心を持つ正義感の固まり。ネオリベでもなく、マゾヒストでもなく、ダンダリン。歩く労働基準監督署だ。(そういえば竹内結子のあのドラマは最悪の出来だったな)

以下、彼のことを便宜的にダンダとする。

ダンダは皆がサービス残業している中で悠々と定時で帰る。その悪びれなさは清々しい。

あいつばっかり楽しやがって・・・という気持ちがないわけではないが、そのファイティングスピリットあふれる姿も見るに「僕らの代わりに頑張って戦ってくれ」という気持ちのほうが強く、ブラック社畜だらけの中でダンダは一定の支持を得ていた。

サービス残業で遅くまで居残る同僚達のために「タイムカードを設置すべきだ」と人事部に進言してくれたこともあった。

最も当初は「ワークライフバランスの確保のため、残業許さまじ」と息巻いていたのが、「残業は仕方ないにしても、せめて残業代は支給すべき。サービス残業許さまじ」となり「サービス残業は仕方ないにしても、せめて時間管理をすべき。タイムカードを設置せよ」となったので、トーンダウン感は否めないところではあるが、会社の言いなりのマゾヒスト軍団からしたら、騒いでくれるだけでも、なんらかの抑止力になってくれているだろうという期待もあった。

このところのダンダの人事部への凸りも、ダンダの鬱憤メーターMAX→ダンダの凸→人事部のいなし→ダンダの鬱憤の発散完了→しばらくは平穏な日々、というようにトーンダウンどころかプロレス的にもなってきた感があり、マゾヒスト達の中からも「あいつは自分が早く帰りたいだけではないか?」、「早く帰って副業でもしているんじゃないか?」、「残業手当が正当に支給されるようになれば、奴は我先にと残業するようになるのではないか?」、「実は借金まみれで、ダンダリンどころかウシジマくんじゃなかろうか?」と口々に噂する様になっていった。

中国駐在員としてダンダが派遣された

そんな時、遅ればせながら当社も中国に進出することになり、初代駐在員が派遣されることとなった。

モチベーションの高いメンバーでプロジェクトを成功させたいと意識高く経営陣が考えたからなのか、はたまた転勤命令を出して断られるのを嫌がった人事部が責任逃れ的に捻り出したアイデアだったのか、あるいは単なる社長の思いつきなのか定かではないが、中小企業には珍しく駐在員は公募制で選ばれることとなった。

中国人は不潔だ、中国人は声がデカい、中国人は信用できないと日本人全体がうっすらとした共通認識をもっている状況下での香港民主化運動の盛り上がり。か弱い女性リーダーと冷酷そうな強面のシージンピンを並べて連日報道されれば、あんまり中国に興味のない人達だって嫌悪感を持つ。中国駐在員公募のタイミングとしては最悪であった。(さらにこのコロナウイルス騒動で最悪の上の最悪となってしまったから、あの頃の方がまだマシだったといえる)

そんな中、唯一名乗りをあげたのがダンダであった。

口さがない連中は「守銭奴の奴のことだ。駐在員手当狙いに違いない」だの、「正義の味方ごっこに飽きて会社側に尻尾を振り始めたに違いない」だの言いたい放題であった。

ダンダの赴任にあたりフォロー役として、中国での駐在経験のある僕が選ばれ、2人して中国に旅立った。僕は短期の出張。ダンダはいつ終わるのかわからない駐在員として。

日本にいるときはサービス残業だらけの僕と、定時に帰るダンダでは日々すれ違いであったが、中国では毎日一緒に出勤し、一緒に飯を食い、酒を飲み、そしていろいろな話をした。

日本で労働環境改善のために自分なりに努力したが、何も変わらなかったんだ、と彼は町で唯一の日本料理屋で呟いた。

何度、改善を促しても一向に重い腰を上げない人事。自分達の労働環境なのにお手並み拝見とばかりに高みの見物の同僚達。せめて自分だけは残業しないで定時に帰ることで口だけでなく行動で示そうとして来たが誰も着いては来てくれなかった。

もう虚しくてね、やり切れなかったんだよ。

だったら中国で自分がトップになり、ホワイトでやりがいのある、それでいて高収益な会社を作り、日本に対して外から改革を促したいと思ったのだそうだ。

年甲斐もなく夢見たいなことを言ってると笑ってくれよ。そんなふうに少し声を落として語るダンダはなんともハードボイルドであった。バックで流れる時代遅れの演歌がなんともシチュエーションにはそぐわなかったが、それを除けば確かにハードボイルドであった。

それから数日お互い忙しい日々を過ごし、夜はいつもの日本料理屋でダンダの野望を聞いた。いつものセンスのない歌謡曲をバックに。

あっという間に2週間が過ぎ、僕は「頑張れよ」とひと言残して日本に帰国した。空港まで見送ってくれたダンダは、不安そうではあるものの、ゴングを待つボクサーのようでもあり、これから何かが始まるのだという期待感をまとっていた。

それかれ4ヶ月後・・・ダンダ帝国が完成した

それから4か月後、年度末決算(中国企業の決算はみな12月である)についての打ち合わせとその後のフォローを兼ねて再びダンダと再開した。

遅い便で中国入りしたため、その日はひとりでホテルに行き、ひとりで簡単な夕食を済ませて翌日に備えた。

翌朝、ホテルまで迎えに来てくれたダンダは自信に満ち溢れている様子で、それは中国事業の数字が上向いていることだけが理由ではなく、彼の理想が形になりつつあることに手応えを感じているのだろうと想像された。

スタート時は5名体制だったが順調に拡大し10名体制となっていた。

ワクワクした気持ちで会社の門をくぐるとなにやら違和感。4ヶ月前は中国企業特有のザワザワわいわいしていたのだが、空気がピンと張り詰めたかのような雰囲気。なにやら胸騒ぎ。

玄関を開けると中国人スタッフ達が立ち上がって大声で「オハヨーゴサイマス」と挨拶。僕は面食らって「お、おう、朝から元気だね、オハヨーゴサイマス、お久しぶり」と返すのが精一杯。

次に目についたのが事務所に大きく貼られたスローガン。

「小さな改善、大きな成果」

胸騒ぎが激しくなる。

そして始業時間となり、全員で朝礼(!)どんどんきな臭くなってきた。

そして、残念ながら、案の定、思った通りに始まった。お決まりの唱和だ。

「セーリ、セートン、セイケツ、セイソウ、シツケ。ワタシタチハ、5Sヲ、タイセツニシマス」

朝礼後、報告があります、と日本語が達者な岳さんが恐る恐る進み出た。

なんだ!とダンダは高圧的な態度。それを見ていた他のスタッフもピリピリ。

そう、ピンとした空気はこのダンダの高圧的な態度が生み出したものであった。

ここに彼の野望は完成したのだ。そうダンダ帝国の誕生だ。そして、その色はブラック。

それから1週間、以前と同じように一緒に帰り、同じ日本料理屋で、同じ安っぽい味の肉じゃがを食い、同じ時代遅れのJ-POPを聴いた。以前とは違う自信に満ちたダンダと共に。

ここからは多くは書かない。

あの日から今日まで、多くの苦労があっただろう。平等とは何か、公正とは何か、何が罪なのか、罰は必要なのか、性善説のみで組織を制御できるのか、事細かくルールを明文化するべきか、多くの場面で板挟みにあったに違いない。

中国駐在員として同じような苦しみにもがいてきた僕は、彼を非難することはできない。

気持ちが痛いくらいわかる。

ただ彼をしても「あまねく全ての会社はブラック化せざるを得ない」という僕の持論を打ち砕くことができなかったことが残念なだけだ。

人をコントロールすることは快感である。人から恐れられ気を遣われることは甘露である。自分の足元に人を平伏させることは万能感を与えてくれる。

ダンダがこれ以上の闇に陥らないことを祈るばかりだ。

自信に満ちたダンダに見送られ、僕は次に来るときは、どんな変化が彼に起きているのか不安である一方、一皮剥けたら黒かった彼がもう一皮剥けたらどのような変化を見せてくれるのかという淡い期待を持って、同地を後にした。

次に彼に会うのは、初夏の頃になるだろう。その時には、あの日本料理屋でチャコの海岸物語でも聴きながら、また彼の話を聞いてみたいと思う。

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