僕の勤めている会社、それも同じ島に得意先から天下ってきたおじさんがいる。
彼に、主たる業務はない。
顧問というか相談役というか、まあ簡単にいうと高給をもらってのんびりするのが仕事である。
そういうわけで彼は朝から晩までコーヒーをすすりながら、インターネットによる市場調査活動(主にYahooニュース)に邁進している次第である。
聞く人が聞けば、世代間格差だ、日本の未来は暗い、ニッポンジン生産性ヒクイネーと目くじら立てそうな状況である。
近くでそれを見ているお前もさぞかし腹が立つだろうって?
答えは「NO」だ。
彼が高給を取ろうが仕事がなかろうが日がな一日Yahooニュースを見ていようが、正直全く腹が立たない。
のんびりとゆったり流れる時間は、彼にとっては当たり前の、当然享受して然るべきご褒美だからだ。
彼も大学を卒業し社会人になってから、それはそれは様々な苦労があったろう。イケイケドンドンなご時世であったろうから、売上ノルマが達成できない月は会議で灰皿でも飛んできたかもしれない。上司の勧めでやりたくもない見合いをしたかもしれない。定年まで一つの会社に勤め上げるのがデフォルトの時代、のしかかる住宅ローンもあり、転職するという選択肢がそもそも奪われ、社会的な抑圧に苦しんだのかもしれない。
そんな時、近くのおじいちゃん社員に「わしも若い頃は苦労したよ。苦労したからこそ、今こうして楽させてもらっとるのじゃよ。だからアンタも頑張んなさい」と慰めてもらったのかもしれない。
また、彼が社会人になった頃は、55歳定年制だったろうから、30年頑張って引退するんだ、自分の親父みたいにのんびり孫と遊ぶんだと来るべき老後を夢見たかもしれない。
のんびり孫と遊ぶ前に、おじいちゃん社員(といっても60前)になってのんびり会社でお茶をすするのもいいかもな、ははは、と思ったのかもしれない。
彼がどんなサラリーマン人生を送ってきたのか分からないが(知りたくもないが)、ただ言えることは、彼は多かれ少なかれ「こんな筈じゃなかった」と思っているはずだ。
僕らロスジェネが「こんな筈じゃなかった」と思っている程度に。
彼にとってのサラリーマン人生は、ひとつの会社で、見習い期、モーレツ期、円熟期、そしてのんびりスローダウンする黄昏期、この全てがワンセットである筈だった。それが昨今の死ぬまでモーレツを求められるご時世になろうとは、思ってもみなかったであろう。
彼は日々のんびりと高給をもらって、ゆったりとネットサーフィンをするのは、約束された権利だと固く信じているに違いない。これまで、こんなに頑張ってきたのだから当然だろ?先輩たちと同じように過ごして何が悪い?と。
僕らが、彼らを無駄飯食いのくそったれの逃げ切り世代が!と忌み嫌うのと同時に彼らは向こう岸で、なんでワシらだけこんな目に遭わなあかんねん、先輩たちは恵まれてるのう楽しい老後で、若い奴らはええのう自由に生きれて、ワシらばっかり割に合わん目におうとると全く僕らの恨み節など耳に届かず、彼らは彼らなりの恨み節を繰り広げている。僕らの間に流れている川は広く深く長い。
僕はその川を眺めながら彼の立場をおもんぱかっている。
だから僕は師走の鉄火場のような職場で1人浮世離れしている彼にも比較的優しい気持ちでなんとか接することができている。
だから、お願いだから、「おーいタケオ君、梅宮辰夫が死んじゃったよ、大事件だよう」と過重業務でアップアップの僕の手を止めたりしないでくれ。
だから、お願いだから、「おーい、タケオ君、パソコンがまた故障だよう」と自身の住宅ローン計算Excelシートの不具合を直させたりしないでくれ。
だから、お願いだから、「明日、土曜日だけど家にいてもやることないから、会社に来ちゃおうかな?みんな、どうせ休日出勤するんだろう?」と不用意な発言をしないでくれ。
さもないと理性でなんとか押さえつけているものが溢れ出てしまう。もうこれ以上、自分のことを嫌いになるのはイヤなのだ。僕は早く帰りたいだけなのだ。