評価・・・39点
あらすじ
カセットテープに吹き込まれた呪いのウタを聴いたものはみな死ぬかも(??)
監督:清水崇
キャスト
- EXILEの方々
- マキタスポーツ(探偵)
- 早見あかり(マネージャー)
- 穂紫朋子(さな)
- 山川真里果(母親)
感想(※以下、ネタバレあり)
私は映画を見に行く際に、簡単なあらすじとトレーラー以外の情報は極力入れないようにしている。特にレビューのたぐいはいっさい見ない。
作品に対する印象や感想は人によって千差万別なので、他人のレビューは参考にならないばかりか、自分にとってのドストライクを見逃してしまうおそれがあるからだ。
そのため、どのような作品にも先入観なくフラットな気持ちで臨むべきであり、そのためにはあらゆる情報にいっさい左右されてはならない、という極端にリベラルな考えをもっている。
そんな極左の私にも、例外がある。
出演者にAKB系とジャニーズ系がいないかの事前確認を必ずしてから、作品をチョイスしていることだ。
出演者のところ(特に上の方)にジャニ山ジャニ夫(××グループ)というような記載があった場合は要注意。すぐにその氏名でググり、ジャニーズ系やAKB系であった場合は、候補から即座にはずし、記憶からも抹消している。
そう、偏見である。差別である。偏狭者である。心の狭い男である。(なんとでもいってくれ)
特にホラー系は要注意であるので、今回の「ミンナのウタ」もいつもの事前確認を終えて、さあ今回の清水監督はどうかなとワクワクドキドキしながら劇場に足を運んだ。
公開から10日あまり経っており、さらに平日のレイトショーであったためか、劇場には私を入れて10数人。誠にもって寂しいかぎり。
その10数人中、なぜか男は私ひとりだった。あとは全員女性。
間違えて女性車両に飛び乗ってしまったかのような居心地の悪さと不安感。なんだかお尻がムズムズする。
もしかして入る劇場を間違えた?もしかして、交換ウソ日記の劇場に迷い込んだ?となんどもチケットを見返す。
そうこうしていると、No more 映画泥棒が終わって、本編が始まった。どうやら大丈夫そうだ、劇場を間違えたわけじゃなさそうだと安心して画面に集中していると、イケメン登場。
そして、そのイケメンが一言、「えっ?」と驚きを表すセリフ。
くっっそ、ヘタッ!
声がヘタッ!顔がヘタッ!
一言だから、よけいに目立つ下手さ。
さらに、イケメン、「なに?なに?なに?」と怪異に対して恐怖の演技。
くっっっっそ、ヘタッ!無理無理無理!
そもそも恐怖を表すのに「なに?なに?なに?」っていう?「なに?なに?なに?」は誕生日プレゼントを前にした子供のセリフだろ。あまりにも下手。世界中のチビッコたちに謝れ。
まあ、こやつは死亡要員なのだろう、すぐに消えるさと、気を取り直して見ていても、全然死にゃしねえ。
死なないばかりか、その後、続々と似たようなイケメンが出てくる。次から次へと。誰が誰なのかわからない。その人物が出てくる意味や役割や必要性がまったくわからない。それなので、彼らが怪異に巻き込まれても、まったくもってポカンである。
さすがにここまで来れば、鈍感な私でも気付きます。これは私が観るべき映画ではないんだなと。これはアイドルのファンムービーなんだなと。やっちまったなと。完全に私のミスだ。
その後、イケメンたち全員が怪異に取り込まれる展開になるのだが、最終的には、実は全員生きてました!よかったね!ってハートフルファンタジーな鬼展開が続く。そうか死ぬ役じゃなくて生き残る役をみんなやりたいもんね、それにそれぞれに付いているファンたちにも目配せしないといけないしね。納得納得。
ここまでくると逆に潔くて好感が持てる。清々しいほどの忖度。なるほど、そう来るか、大人の対応だなと関心しきり。この気配りと配慮が私にもあれば、この冴えないサラリーマン生活がもう少しマシなものになっていたのにと、しばし映画を忘れて己の人生を振り返りゲンナリ。
できれば、この冴えない人生をしばし忘れさせてくれる映画が見たかったのだが。。。
さらに、唐突にかかる彼らの持ち歌が映画の雰囲気にあっておらず、意味がわからない。でも、百歩譲ってそれはいいとしよう。
一番ずっこけたのは、曲名がデカデカとスクリーンに表示されたことだ。いいですか?エンドロールに出てくるわけじゃないんですよ?ホラー映画の最中にポップな音楽がかかり、曲名がどーんと表示されるんですよ?びっくりしたわ。
場末のスナックのレーザーディスクカラオケか!
そういえば、20代のころ、上司にスナックに連れて行かれて、一晩中説教くらったな、とつらい思い出が。。。できれば、この冴えない人生をしばし(略)
さらに、マキタスポーツ扮する探偵があまりにもポンコツすぎる。イケメンに「お前らの歌、なかなかいいな」みたいな忖度発言(ファン向け?)をしたかと思えば、「あれはカップリング曲。昔の言葉で言えば、B面だよ」と言われ、「それだ!B面にヒントがある!」と呪いのカセットテープのB面を調べ出す始末。
おせーよ!いまさらかよ!!
私が探偵だったら、A面B面のみならず、早回しで聞いたり、逆再生で聞いたり、スローで聞いたりとありとあらゆる方法を試す。素人の私ですらそうなのに、それを元刑事の探偵がA面だけ調べて放置するかね?
さらに呪いのカセットテープの製作者がマキタスポーツの同級生だったりとご都合主義な展開が続き、行き当たりばったりで物語が進んでいく。
さなの呪いの力でマキタスポーツが引き寄せられたのだ、という解釈を無理やりしたとしても、それでも強引すぎる。
呪いの力でなんでもできるなら、まどろっこしいことしないで、さっさと呪いの力でテレビにでもYouTubeにでも全世界に配信すればいい。
ただしだ。この作品は、たしかにポンコツのアイドルファンムービーではあるが、おっと思わせる点がいくつかあった。
たとえば、マキタスポーツのボールペンをカチカチやるやつ。
あれをもっと効果的に使えばよかったのではないか。序盤から終盤まで要所で要所でカチカチさせていけば、なんともいえない不快さと不穏さを映画全体に落とし込めたのに。そう、アリアスターのヘレディタリーのあの子の舌打ちのように。おそらくイケメンたちの歌と踊りに尺を取られ、そのような展開に至らなかったのだろう。残念だ。
むしろ、ウタのほうが虚でカチカチが実であったほうがよかったかもしれない。
あとは清水監督らしく、呪怨の雰囲気が要所要所にでていた。特に母親役は秀逸であった。なんてことはない日常の親子の会話をループさせることで不穏な雰囲気を出すところはさすがである。
だが、呪怨に寄せようと意識しすぎるあまり、呪怨のパロディのようでなんとも痛々しい。とくに伽椰子を意識した階段の場面など、見ているこちらが恥ずかしい。
これでは、呪怨が大好きな高校生が学校のイケメンを集めて作った呪怨のパロディ、文化祭の出し物だ。
途中からそんな印象を持ちながら鑑賞したせいか、思い出したくない思春期のあれやこれやが頭に浮かび、映画よりもそちらのほうが私には恐怖であった。
モテなかった思春期のあれやこれやを思い出してげんなりしている私に対して、スクリーンにはラストのイケメンたちの歌と踊り。
これはなんの拷問なのだろうか?
それを狙ってこの作品を作っているとしたら、清水監督はまさしく天才である。
まとめ
この作品は、「学校一の映画マニアが高校三年の最後の文化祭のために、学校中のイケメンを集めて作った呪怨オマージュの映画」レベル。
ホラーの巨匠が撮ったホラー風味のファンムービーでしかない。
呪怨っぽいところを見て、清水監督の復活だ!と思う向きもあろう。私はそうは思わなかった。清水監督が最後の禁じ手である「セルフカバー」をむせび泣きながら使ったように思えた。
これは「ミンナのウタ」ではない。
「シミズのウタ」だ。
かつてホラーの神に愛された男の最後の断末魔、最後に奏でる諦めの響きをもったブルースだ。