8番出口【2025年】世にも奇妙な物語の1話を薄く伸ばしたようなお話

映画

評価・・・52点

キャッチコピー

8番出口から外に出ること

監督:川村元気

キャスト

  • 二宮和也(迷う男)
  • 河内大和(歩くおじさん)
  • 浅沼成(少年)

感想(※以下、ネタバレあり)

以前は「微妙だなー」と評価していたものが時を経て、「素晴らしいじゃない!」に変わることがある。

特にここ数年、多くなった。

あんなに嫌いだったサザンオールスターズも今では鼻歌を口ずさむことがある。

演技が妙に鼻について忌諱してきた石原さとみも「ミッシング(2024年)」を観て、「最高じゃないか!」に変わった。

「酸っぱいものは嫌いなんじゃ」と見るのも嫌だった苺やグレープフルーツも今では「むしろ好き」と積極的に苺ババロアやグレープフルーツゼリーを買い求める始末。

歳を重ねることにより、若い頃に持っていた邪心に満ちた色眼鏡が剥がれ落ちたせいもあろう。加齢により敏感に反応していたなんらかのセンサーが弱まり、物事を素直に受け止めることができるようになったのかもしれない。

「商業主義の腐れ軽音楽に違いない」という色眼鏡を外せば、J-POPの楽曲はキャッチーで思わず口ずさみたくなるものが多いし、味覚センサーが衰えれば酸味も苦味も適度なアクセントとして受け入れられる。

加齢により失ってしまったものが多い反面、失ったことにより得るものも多く、自分の変化を楽しんでいる。

ところでだが、私は俳優「二宮和也」が苦手だ。

その身に纏った「日本アカデミー賞受賞!」的な優等生然とした佇まいが苦手なのか?

「自然な演技を心がけています」という不自然な態度がなんか嫌なのか?

「ナチュラルな演技!」と評価されればされるほど、そのあざとさが透けて見えるからか?

全世界のマダムたちに「ウチの娘のお婿さんになって欲しいわー」と思われる家族思いっぽい雰囲気が鼻につくのか?

このように、私は役者「二宮和也」を苦手とする理由を具体的に言語化できずにいる。

前述したように、人間の好みは移ろうものだ。

昨晩食べたグレープフルーツゼリーの芳醇な香りも20年前は単なる悪臭であったように。

そんなこんなで、「8番出口」を劇場にて鑑賞してきた。

公開から1週間後の土曜日。最終の21時スタートの回。それでも客入りは6割以上とまずまずであった。

感想としては、ダメよりの中くらいの凡作といったところ。まあ、暇を持て余しているならどうぞ、といったレベル。

下記に何が不満だったのかを記す。

異変があれば引き返せ

「異変があれば引き返せ」、これは映画序盤で提示されるルールだ。

それは別にいい。映画なのだから。

ただ、そんな突飛なルールを「なるほど、なるほど」と素直に受け入れる主人公に強烈な違和感。まさに異変あり、だ。

こんな状況に追い込まれたら、誰のイタズラだ!と怒って騒いでみたり、駅員を呼ぶべく通用門を連打したり、排気口から出られないか?と足掻いてみたりといったリアルで取るであろう行動が一切ない。とんでもない怪異に巻き込まれているのに「よし!ルールはわかった、よし!頑張るぞ!」ってなるか?

映画の突飛な設定にリアリティを持たせることができていない。

設定、脚本、演出に異変ありだ。

演技に異変あり

私の思う二宮和也の演技は「世間一般が想像する”好青年”をナチュラルで自然体に演じるべく頑張っているが、透けて見える偽善的な何か」が特徴だと思っているのだが、今回は笑っちゃうくらいのオーバーアクト

異変に気付かず振り出しに戻って落胆の表現が「うおー!」って。すっごい恥ずかしい。

その反面、異変がないかの確認がめちゃくちゃ雑。ポスターが何枚あるか、ドアが何枚あるかくらいしか数えていない。しかも軽めの指差し確認で。これヨシ、あれヨシ、あっちヨシ、ゴー!みたいな。仕事猫じゃねーんだからさー。

地面にのたうち回って、「うおー!」と叫ぶくらいなら、最初からもっと慎重にいけよ。「うおー!」って悔しがるのは、それなりに努力した者のみ与えられる特権だ。むっちゃチグハグ。

しかし、ヨシ!ヨシ!!ヨシ!!!うおー!って独り言多いなコイツ。うぜえ。

いつもの二宮とは違うように感じましたが、そのオーバーアクトの裏にいつもの偽善的な何かが透けて見えたので、私の思う安定の二宮和也でした。そこは、再確認できてよかったです。

しょぼい異変

脱出のルールをあっさり素直に受け入れる主人公に共感できねえな、と思いながらも、そんな細けーことはいいんだよ、間違い探し的な異変が次から次へとやってきて、迷い込んだ主人公と観客が一体感をもって、目を皿にして異変を探すというお祭りなんだよ、というもう一方の心の声に耳を傾けて、「これは異変なのか?、違うのか?さっきどうだったっけ?さっきと微妙に違くない?」といった具合に楽しもうと心を入れ替えた途端に、赤ん坊の泣き声が聞こえたり、ネズミが出てきたりとびっくりドッキリのわかりやすい異変の連発

えー!単なるパニック映画になっちゃったよ。

そして、そのびっくりドッキリ異変のしょぼいこと、しょぼいこと。

そもそもどんどん前に進まないと死んでしまうといった急がせる、焦らせる理由もないなかで、やってくるのが攻撃力最弱なしょぼいアクシデントでは、緊迫感が生まれない。

これといって急ぐ理由がないのに、主人公が焦った様子で、ヨシ!ヨシ!!ヨシ!!!の仕事猫ムーブを決める必要性がまったく理解できない。

伏線の回収が雑

前項で「緊迫感」がない割には、主人公がおざなりなチェックを繰り返して振り出しに戻るのは納得できない、と述べた。

唯一、主人公が仕事猫しぐさで慌てなければならない理由として、「喘息」がある。極度の緊張感のなか、悪化する喘息の症状、少なくなる薬、散漫となる注意力、意地悪な異変、、、というように主人公が焦らなければならない舞台設定なのかと思ってみていたのだが、これがまったく機能しない。それどころか、大事な喘息薬が入ったカバンを叩きつけて「うおー!!」だもの。びっくりですわ。

さらにいえば、中盤から喘息が治ってしまう始末

お前は底が浅いな、「喘息」は主人公の弱さの象徴であり、あるいは主人公が克服すべき障害の象徴であり、中盤以降は主人公の内面的な成長から「喘息」が消えたのだ、もっと真剣に映画を見ろよというのならば、それこそ糞だ。あまりにもわかり易すぎるし、そもそも喘息で苦しむ少年少女に失礼だ。彼らは弱くて喘息になっているわけではない。全世界の喘息で苦しむ少年少女に土下座しろ。

そもそも、この間違い探しゲームの過程で主人公を成長させる葛藤や決断があったように思えない

間違い探し的な異変でなく、しょぼいネズミやシャイニングみたいな洪水なども何らかのメタファーであり回収されることが期待されたが、それも特になし。回収するつもりがないのならば、もっと派手な異変にしてくれ。

迷っているのは主人公だけでなく、この異世界の住人だと思われた歩く「おじさん」も実は迷い人の成れの果てであることがアナザーストーリー的に描かれていた。この部分は非常に良かった。それならば、おじさんと同じくゲームに取り込まれた女子高生のアナザーストーリーも描いてくれたほうが、このまったりとした映画にハリが出ただろう

透けて見えるもの

お子様から老人まで、みんなが安心して楽しめるものを作るのがお金儲けのコツ、そのためには好感度の高い演技に定評のある(笑)二宮和也を主人公にしたらいいんじゃない?という制作陣の会議室での会話が透けて見える

それだけだと弱いから、軽めのジャンプスケアを入れようよ、主人公が内面的に成長するいい話も入れておこうよ、といった会話が聞こえる

面白いものを作ろう、みんなの度肝を抜くものをつくろう、といったパッションが感じられず、全局面において、「この程度でいいよ」といった妥協の産物であるかのように感じるのは私だけだろうか?

考察

結局ゲームマスターは誰だったのだろうか?

歩くおじさんも二宮も少年の視点からは新たに出現した登場人物であるかのように描かれている。少年だけが、おじさんも二宮をも超越する存在だ。

ゲームをクリアして脱出を果たした二宮だが、少年は置き去りだ。それもあっさりと。おそらく、彼も少年がゲームマスターだと理解したからだろう。

では少年はなんの理由があって、おじさんや二宮、そしてその前には女子高生をもこのゲームのなかに取り込んで、試練を与えているのだろうか?

ひとつの解釈として、この少年は未来の二宮の息子であるという説。自分を生むか堕ろすか迷っている父に試練を与えて、少年の望む方向への精神的成長を促すため、ゲームのなかに引きずりこんだとも考えられる。ということは、おじさんや女子高生も少年にとって関わりのある人間なのだろう。

しかし、ラストに二宮は赤ん坊を抱えた若い母親を怒鳴りつける暴言サラリーマンを注意しにいくシーンで終わる。まるで、時間が戻ったかのようだ。これの説明がつかない。

ということは、暴言サラリーマンに関わり合わないように目を閉じて音楽を聞く→ゲームに取り込まれて精神的な成長を果たす→目が覚める→暴言サラリーマンに注意する勇気をもつ、という流れになるとすると、え、なになに全部二宮の夢ってこと?すごい短い時間に見た白昼夢なの?となり、まさかの夢オチということになる。

もしかしたら、このような考察は無駄なのかもしれない。ただただ人気ゲームのプロットに乗っかっただけなのかもしれない。

まとめ

最近では珍しい脱出メインの映画だったが、その金字塔であるCUBEには遠く及ばない。

「世にも奇妙な物語」の1話をうすーく伸ばしたような映画。山芋を大量の水で伸ばしたようなもので食えたもんじゃない。といっても、味薄めのため、吐き出すほどではないので、暇を持て余しているときに配信でどうぞ。

映画館で観るほどの価値はありません。

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