ゴッサムシティで「ええじゃないか」と踊り狂いたい

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まもなくハロウィンがやってくる。

ネコとネズミが仲良くケンカするアニメで、子ネズミが飴をねだる場面を見たことがあるくらいで、ハロウィンがどんなものか知らない。

ここ日本では若者たちがエネルギーを発散するまたとない機会となっているようだ。

少し前は(今もか?)、成人式が発散の場であった。

これらの若者の痴態を見て、多くの人は眉をひそめる訳だが、僕は率直に言って「うらやましい」という感情しかない。

お前も仮装して渋谷あたりに繰り出せばいいではないか、と言われるかもしれないが、やはり違うだろうと思う。

成人式にしろハロウィンにしろ、参加資格というものがある。

ルールブックには書いてはいないが、だからこそ注意しなければ。見えないルールを感じとれないことを野暮という。

また、たとえルール破りをして参加しても楽しむことができないだろう。祭りというのは一体感のもと我を忘れることだからだ。若い陽キャの祭りに、教室の片隅で男同士でガンダムの話をしていたのがそのまま中年になったような男が一体感を感じられるわけがない。

思い返すと僕らの世代は色んなものから見放されてきたが「祭り」からも見放されてきた気がする。

今は、ハロウィンだ成人式だと祭りの舞台が用意され、ジジイども全共闘世代の学生生活は、かくめいゴッコの一大フェスティバルだった。奴らは祭りを終えてさっぱりした顔で日常に戻り、日本を世界に冠たる経済大国に押し上げ、そして日本を壊した。

さらにさかのぼると、あの暗い戦争時代も当時を生きていた人たちからしたら、一種の高揚感をもった祭りであったのだろう。当時の新聞雑誌を見るとまさしく”お祭り騒ぎ”ではないか。

さらにさかのぼると明治維新、その前には「ええじゃないか騒動」なんてものもあった。

この「ええじゃないか騒動」は、「ええじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!」と連呼しながら町を集団で練り歩くというものだ。

素敵だ。

いまのハロウィンの拡大版のようなものである。

では僕らには何があった?受験戦争で負け、就職氷河期で負け、ブラック企業で現在進行形で削れている・・・このまま発散することなく終わってしまうのだろうか?

祭りを寄越せ。何もかも忘れて「ええじゃないか!エエジャナイカ!ee-jya-naika!」と踊らせろ。

かといって、僕らロスジェネが一体感を得られる祭りなど、まったく思い当たらないのだ……

そんな10月の鬱々とした夜にレイトショーで「ジョーカー」を見た。

そこにはあったのだ。

僕たちの為のような祭りが。

ゴッサムシティに繰り出したい。ゴッサムシティに火をつけたい。

全てに見放され、何もかもを失い、誰からも顧みられないロスジェネこそがゴッサムシティに火をつけるべきだ。

僕らにはピエロのメイクがひどく似合うことだろう。

そして、ジョーカーのように解放されたいのだ。

どうしようもない生活に押しつぶされそうな、ハロウィンで華やぐ、少し肌寒い夜は、「ジョーカー」を見るのにぴったりだった。

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