怒っている人を今日も見た。
昨日も見たし、ネットでも見た。満員電車で舌打ちするおじさん、伝票の記載ミスにイラつくOL、コンビニの店員にいちゃもんをつけるおじいさん。
不倫をするのはケシカラン、シャブを打つのはケシカラン、脱税するのはケシカラン、胸の大きな女のポスターはケシカラン、韓国はケシカラン…
小さな怒りがあちこちに転がっている。毎日、毎日、毎日毎日、ケシカランのオンパレードだ。
昨日ことだ。いや22時を過ぎていたから昨晩か。いつも通りのクソ残業のさなか、目の下に鮮やかなクマをつくった同僚が話しかけてきた。
「韓国の大統領、かなり支持率落ちてヤバいらしいな。そもそも徴用工の問題なんか、とっくに解決済みなんだよ。慰安婦なんかは捏造だしな。あんな奴らとは付き合ってらんねーよ」
コーラ片手に彼の力説を聴きながら、北朝鮮の問題もあるし、中国もおっかねーし、ロシアも不気味だし、まったく隣人に恵まれねえな、と返した。
それから彼はひとしきり最近のケシカラン案件について自論を述べ、僕も適当に合わせた意見を述べて、しかし今の世の中ケシカランよなと話をまとめて、終電のことを気にしながら仕事に戻った。
毎年のことだが、ここから年末にかけて過酷な日々が待っている。会社は儲かるのかもしれないが、現場の人間はヒーヒーだ。人員は変わらず業務だけが増えるのだから。毎年、毎年やってらんねーな、とため息をつきながら書類を眺めながらふと思った。
世の中のケシカランに日々怒っているが、まったく僕の状況は変わんねーな、このくそったれの状況は何年も変わっちゃいない、去年も同僚は同じように世情に対してケシカランと怒っていたが、今年も彼の目の下にはやはりクマができている。先程、お互いにケシカランと話し合ってみたものの、目の前の山のような業務は減らないし、給与は社会保険や増税やらでむしろ減っている。今日どんなに僕らがケシカランと喚いたところで、彼の目の下のクマは明日はもっと濃くなっているだろう。
毎日そこらじゅうに転がっているケシカランを丹念に見つけ、丹念に叩く作業は、その瞬間瞬間では達成感がある。しかしそれは僕らの状況を変えることに寄与しただろうか?
韓国が、地球環境が…と主語が大きなケシカランは、本来僕らが頭を使うべきところなのか?どん底にいる僕らに残された気力と残された時間はそれほど多くない。このくそったれの状況すら変えられないのに、地球の心配をしてどうする?
怒りをしっかり溜めていきたいと思う。本当の敵に溜まりに溜まった僕の怒りをぶつけるために。世の中のケシカランは関係ない。僕個人の怒りだ。僕だけの純粋な怒りだ。
小さな怒りの発散は快感だが、大きな怒りの発散は苦痛である。苦痛を恐れて快感に逃げることがないようにしなければ。
本当の敵が見えたら、そのチャンスを逃さず、ぶつけたい。巨大な怒りの発散で敵もろとも自分が蒸発しようとも。むしろ本望ではないか。
だから今から小さなケシカランに目を瞑ろうと決意するのだが、すでに、Jポップの有名プロデューサーのドロ沼離婚騒動が気になっている…まことにケシカラン話だ。