天津飯という呪いについて

とてつもなく天津飯が食べたくなる時がある。

数年に一度。

だいたい2年おきぐらいだろうか?

居ても立っても居られなく、ワクワクしながら、ドキドキしながら、念願の一口食べて、かならず思う。

「コレジャナイナー」

それから、街で中華料理屋を見つけては、ワクワクしながらドキドキしながら天津飯を注文しては、おもむろに一口食べて「コレジャナイナー」を繰り返す。

そして、およそ1ヶ月間ぐらい、ワクワク・ドキドキ・コレジャナイを繰り返し、ようやく発作が沈静化する。

…というか諦める。

もうこんなことを何年も繰り返している。驚くなかれ20年以上だ。

昨日、しばらくなりを潜めていた発作がぶり返した。

そもそもの発端は…と思いを巡らすと、僕が小学生の時分に行き着く。

当時、家族でいく中華料理屋があった。月に一度の贅沢。たしか「来来軒」といったとら思う。

そこで食べる天津飯が絶品であった。

ふわふわのタマゴ。多めの油で焼き上げているので端の方はサクッとしている。ふわサク、ふわサク。そしてコクのある餡がふわサクを包んでいる。塩気だけでなく、ほのかに甘みも感じる。

僕がコレジャナイナーと思うのは、結局はこの天津飯と比較しての感想に過ぎない。

近頃はうまい天津飯がねーな、なってねーな、と進歩のない中華料理界を不甲斐なく思うのだが、もう20年以上もこんなことを繰り返し、さすがに不安になってきた。

もしかすると、たまたま小学生の頃、まずまず美味い天津飯を食べた経験に、家族と過ごした思い出や1ヶ月に一度というプレミア感が加わり、脳内でこの世にはありもしない「俺の天津飯」がモンスター級に膨れ上がり、以来どんなに美味い天津飯を食べても、チガウナーと錯覚を起こしているのではないか?という漠然とした不安。

そうであるのならば、もう二度、天津飯を美味いと感じられる身体ではない、ということだ。一生、天津飯を美味いと思うことなく死んでいくという運命。

コンナノ天津飯ジャナイ!チガウ!チガウ!!チガウ!!!と老人ホームで介護の人を煩わす名物ジジイになりかねない。

こんなのアップルパイじゃない!こんなのアップルティーじゃない!と、至る所で駄々をこね、みんながDang!Dang!気になり始めた頃、求めてたのは昔恋しいママの味だったという青沢さんにはなりたくない。

とにかく今回で解決しよう。

まずは近所に新しくできた中華料理屋を目指す。ここは日本人シェフ。まずは合格だ。

なぜか?

以前、中国の天津に出張した際に、本場天津ならば、さぞかし美味い天津飯があるだろうとレストランで「天津飯」と書いた紙を見せて忙しそうなウエイトレスに舌打ちされ、ホテルのフロントで「天津飯、有?」と紙に書いて、困らせた。その後「中華丼と天津飯は日本生まれの料理である」という事実を知り、こっぱずかしい思いをした。

そんな意味で本場中国のコックは天津飯は作らないだろうという仮説をたてていたので、日本人経営は望みありというわけだ。

さっそく天津飯を注文。メニューには酢豚、八宝菜といった定番が並んでいる。おお、なんか期待できそう。

それほど待たずに天津飯が登場。勢いよくレンゲですくう!、そして頬張る!

すっぱ!コレジャナイナー!

もう後は惰性だ。作っていただいた方には誠に申し訳ないのだが、あとは惰性で「俺の天津飯じゃないもの」を消化していく。

翌朝、この沿線のすべての天津飯を食ってやると意気込む。電車で隣町へ移動。目についた中華料理屋に飛び込む、すっぱ!コレジャナイ、はい次!少し休んで次の駅へ。すっぱ!コレジャナイ、はい次!

そんな週末をいくつか過ごし、いい加減バカバカしくなって来た。いいじゃないか、思い出フィルターに惑わされたイカレジジイになっても。いいじゃないか、思い出フィルターに囚われたマザコン野郎と呼ばれても。Dang!Dang!気になる!と口ずさもう。もうこの週末で終わりにしよう、下界に戻ろうと決意し月曜日を迎えた。

憂鬱な月曜日の朝。特に同僚とも話すこともないが、なんの気なく「美味しい天津飯の店ってない?」と聞いてみた。

「ん?天津飯?ああ、天津丼のことね」

「ん?天津丼?」

「ああ、子供の頃はさ、みんな天津丼って呼んでたよ。俺にとって天津飯っつたらドラゴンボールだよ」

「ん?んん?」

「どうしたの?急に。天津丼、そんなに好きだっけ?」

「ねえ、天津丼って、酸っぱい?」とおそる、おそる聞いてみた。

「そうだなぁ、基本ケチャップベースだから、酸っぱいといえば酸っぱいんじゃないかな」

そうか、そうだったのか!頑張って探して食べてたのは天津丼だったのだ。たとえメニューに天津飯と書いてあっても、それは天津丼だったのだ。なんせ、コレジャナイナーと思うより前に、まず「すっぱ!」とがっかりしていたのだから。

仕事が終わり、疎遠になっている田舎の友人に連絡を取った。

「天津飯って酸っぱいか?」

「はあ?酸っぱかねーだろ、なんだよ、いきなり」

「じゃあ、またな」と僕はそうそうに電話を切る。

いまから新幹線に乗れば、夜半にはなるが今日中には田舎の寂れた駅に着くだろう。

三年ぶりの帰省だ。

あまりいい思い出のない故郷なので、足が遠のいていたのだが、今回はワクワクしている。

これでもし求めている天津飯に出会えなかったら?

そうしたら、コレジャナイ!コレジャナイ!こんなのテンシンハンじゃない!と駄々をこね、なんであのお爺ちゃんは天津飯にこだわっているのかしらねぇとヘルパーさん達を不思議がらせ、謎を残してあの世に行くのも悪くないかもしれないな。

品川駅に着いた頃にはそう思うえるようになっていた。

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